2009年2月22日 (日)

8.「神戸」ー帰郷

神戸の夜景 帰国後に、あるインド人のホームパーティーに招待されました。
 4畳半ほどの小さな部屋には椅子やテーブルもない。布団を折り畳んで作った即席のソファーと床に10人近くが座り、鮨詰めとなった部屋で出された料理は、最高に美味しかった。初めてのメニューがいくつもあり、全てが手の込んだもの。小魚のおつまみに始まり、スープやシチュー、何種類ものカレー、パン類など、皿の数も驚くほど多く、尋ねると、このパーティーのために丸二日かけて作ってくれたらしい。居合わせたプロのコックさんも「レストランでは出せない料理。あまりにも手間がかかるから」と唸るほどの味だった。
 飾らず、もてなしてくれる。ホームパーティーでのケララ料理インド滞在中にずっと感じていたこと。想像していた通り、インドは私にアメリカやイタリアといった、私の好きな他の外国と変わらない「異国」を見せてくれ、想像以上に多様な面を見せてくれた。しかしそれは、たくさんの友人の支えがあったらこそ。現地を案内してくれた人たちは、ほとんどが初対面。友人の友人や、友人の家族や親戚だったから。直接の知り合いではない私を家族のように迎えてくれた彼らは何故そこまで?と思うくらいに親切だった。「誰かに与えた親切は家族や、友人や、子孫に必ず返ってくる、自分自身だけではなく」と信じている人が多いからだ、と後から教わった。現地と全く同じ味だったアッパム(米粉で作るパンのようなもの)
 拠り所がそうさせるのか、何かの過酷な状況が拠り所を求めるのか、私にはわからない。
 私にできるのは、彼らが日本に来ることがあったなら、と考えること。我が街を良く見せよう、我が街が一番だと競い合うようにして、もてなしてくれた彼らや、彼らが大切にする人が日本に来ることがあったなら、神戸のどこを案内しようか。中華、水族園、夜景、もちろんホームパーティー、それから・・・と考える私は、やはり何かをもらって帰ってきたのだろうと思います。

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2009年2月21日 (土)

7.「クアラルンプール」ー望郷

ドラヴィダ様式の寺院、Sri Mahamariamman Temple(スリ・マハマリアマン寺院) KLタワーなどの観光名所には目もくれず、ドラヴィダ様式の寺院などのインド施設を巡る私は少々変わり者かもしれない。
 The temple of fine artsという、インドの文化センターでは質問攻めに遭った。これまでの約3週間、南インド各地を回って来たこと、ここクアラルンプールでも南インドをテーマに観光していることを伝えると感嘆の声、声、声。ノートパソコンで旅の写真を見せている間もしきりに「スゴいスゴい!」と言ってくれる。The temple of fine artsのカフェ・メニュー
 私を取り囲んでいる人たちは皆、南インドからの移民。いや、その子孫だろうか。鉄道建設の労働者として彼らが海を渡ってきて、すでに1世紀以上が経つのだから。
 カフェスペースもあり、出される料理はメドゥー・ワダといった南インドのものに混じり、マレーシアならではのメニューもある。食事の後、「ぜひ」と言われ、ヴァラタナティアム(南インド舞踊)やバンドなどの発表会に参加させてもらった。子供たちの伸び伸びとした踊りや演奏はなんとも可愛らしく、The temple of fine artsの発表会隣に座ったお婆ちゃんと顔を見合わせては、何度も頷きながら鑑賞した。半日ほどの滞在の後、別れ際には「神のご加護を」と皆が手を合わせてくれた。
 距離と時間によって必然的に変化してきた部分と、変化していない部分と。インドの各都市には私を大切に出迎え、見送ってくれる人たちがいました。神戸の友人たちの計らいで。なんのツテもなかったクアラルンプールでも変わらない気持ちをもらえたと報告したら、彼らは喜ぶだろうか、あるいは当たり前だと言うだろうか。旅を終えようとしているこの時になっても理解していないことが多い自分が、ちょっと可笑しかった。Kuala Lumpur

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2009年2月20日 (金)

6.「バンガロール」ー先進

バンガロール国際空港(Bengaluru International Airport) 空港に着くなり、その快適さに驚いた。その空間に、お店に、トイレに、無線LANに。街の中心地に向かう幅広い道路はカリフォルニアを思わせるし、どこか違う国に来たみたいだった。街を歩くと(民族衣装ではなく)スーツやジーンズ姿の人が多いし、本格的なエスプレッソを飲めるコーヒーショップもある。現代アートギャラリーもたくさんある。エスプレッソは50Rs(100円前後)
 地元の人に聞いても、この10年の変化と言ったら凄まじいものがあると言う。世界的に有名なIT企業が集まる街だからこその勢いなんだろう。いくつかの要因がある中で、私が好きなのは「ケネディのおかげ」という話し。それは、60年代にケネディ大統領がインド工科大学に数億ドルもの支援をし、そのおかげで優秀なエンジニアが育ったというもの。
 彼らがインドの躍進に貢献しているのはもちろん、アメリカのシリコンバレーも彼らの支えが不可欠になっているのだから、インドのシリコンバレーとも呼ばれるバンガロールケネディの偉大さが感じられますよね。
 グローバリゼーションによって均質化されていく世界には賛否両論あるかもしれないし、古いインドのイメージが壊れていくことに寂しさを覚える人もいるかもしれない。けれど近い将来、新しいイメージの「先進国」を見せてくれるかもしれない。
 南インドの旅を終え、飛行機からの夜景を見えなくなるまで見続けました。これは憶測なのか、願望なのか、また別のものなのかと。Bangalore

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2009年2月19日 (木)

5.「コーチン」ー教会

Santa Cruz Basilica(サンタクルーズ・バシリカ)の礼拝 16世紀に建てられた、Santa Cruz Basilica(サンタクルーズ・バシリカ)という教会にて。
 白く塗られた木造の内部は色鮮やかな装飾。モザイクに見える、手描きの装飾(Santa Cruz Basilica)祭壇の上部にはダ・ヴィンチを模した『最後の晩餐』。壁面にはモザイクに似せたフレスコ画。好きな作品やスタイルを「あれも、これも」と取り入れていったら、こうなったのだろうか。手掛けたのがイタリア人画家だと聞き、私の空想は広がった。そのイタリア人はミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院は当然訪れているだろうし、ヴェネツィアのサン・マルコ寺院の黄金のモザイクも見ているかもしれない。ヨーロッパから多くの観光客が訪れるコーチン
 ポルトガル人によって建てられ、イタリア人が装飾したSanta Cruz Basilica以外にも、コーチンにはたくさんの教会がある。リゾート地として、ヨーロッパから多くの観光客が訪れる街。現在では飛行機で数時間という道のりを陸路で、海路で、やってきた人たちがいる。貿易のために、布教のために、描くために。掻き立ててくれる、アートですよね。Cochin

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2009年2月18日 (水)

4.「カニャークマリ」—聖地

記念堂と彫像が建つ小さな島、Vivekananda Rock(ヴィヴェーカーナンダ岩)の背後から陽が昇る 拍子抜けした後、満面の笑みで子供たちと一緒に写真を撮った。
「カニャークマリ=ヒンドゥーの聖地」と聞いて、神聖な光景を想像して身構えていたのに、そこで見たのは浜辺を走り回る子供達、ケータイのカメラで記念写真、沐浴というよりは、海水浴。インド亜大陸最南端の街他の観光地と何ら変わりなく、そのことが私を笑顔にさせた。外国人が珍しいらしく「写真を撮らせて欲しい」と頼まれた。「僕も!」「私も!」と後から後から続く依頼にも、映画スターになったような、イイ気分で応えられた。
 インドの話しをする時、ガンジス川の沐浴について聞かれることが多い。人生観が変わるような体験が語られ、あまりにもショッキングなイメージがあるから。ヒンドゥーの聖地でもありますあそこと並ぶほどに有名な聖地であるカニャークマリはしかし、そうではなかった。
 インド最南端の街。これまで南へ南へと下ってきて、ここから先は北へ上るのみ。旅の折り返し地点は左にベンガル湾、正面がインド洋、右がアラビア海という何ともスケールの大きい最果ての地でした。過剰な神聖視をしたくない私でも、日の出を背景にした彫像には思わず手を合わせました。それは、自然な行為だったと思えます。Kanyakumari

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2009年2月17日 (火)

3.「マドゥライ」ー菜食 

ミーナークシー・スンダレーシュワラ寺院(Minakshi Sundareshwara Temple)のペインティング 古くは、インダス文明を築いたと言われるドラヴィダ人。他民族の侵略によって南へ南へと追いやられた彼らの原始の文化が残るマドゥライという街。ドラヴィダ様式と呼ばれるスタイルで建てられたミーナークシー寺院を中心に広がるこの街は、お店や食堂など寺院やその周辺、街全体が一体となって伝統を現代に伝えている場所でもあります。石の床を裸足で(ミーナクシー寺院)
 神戸に住むインド人(もちろん、その中にはドラヴィダ人もいます)からも食べることの大切さ、アーユルヴェーダの教えに基づいた食事のことを聞かされてはいた。しかし、マドゥライに滞在したことによってその価値をもっと深く知ることができた気がする。日本ではマッサージやエステのようなイメージが出来つつあるアーユルヴェーダだけれど、究極的には如何にして幸福になるか、その為の知恵。中でも、食堂での朝食食べることは大きな位置を占めるもので、病気の予防のために編み出された調理法には感心させられるものが多くある。そしてその調理法が「菜食」と組み合わさって現在の南インド料理がある。
 宗教上の禁忌による制限が、何かを解放することもあるのかもしれない。寺院で鮮やかな彫刻や壁画を観て、石の床を裸足(当地のお寺の多くは土足禁止)でペタペタと歩いた後の極上の食事を思い出す時、長い歴史を経ることで持ち得る、文化の強度のようなものについて考えることがあるのです。Madurai

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2009年2月16日 (月)

2.「チェンナイ」ー喧噪

オート(オートリクシャー)に乗って 2ストロークエンジンの排気音、鳴り止まないクラクション、強い陽射し、巻き上がる埃。インドの都市部は活気に溢れていて、その勢いに圧倒されます。そんな中、いくつか訪れた現代アートギャラリーは住宅街の真ん中にあったり、案外ひっそりと佇む印象。外の喧噪が嘘のように突然、Chennai(チェンナイ)の「ARTWORLD The Fine Art Gallery,Sarala Art Centre」静寂に包まれる感じ。しかし、たどり着くまでが大変で付近の人に尋ねても誰もその存在を知らない。やはり、現代アートというのはそれほど身近な存在ではないのだろう。
 そして同時に感じるのはこうした、共有する情報や感覚のズレみたいなこと。様々な文化が混じり合い、細分化された社会を持つインドという国では、自らの属するクラスやコミュニティーに注力しているような。Chennai(チェンナイ)の「ayya art gallaries」
 目的地があり、その為に必要なタクシー(オートリクシャー)、合間の食事、そこから生まれる交渉や会話をしながら、そんなことを考えさせられる。格差という言葉がネガティブなイメージではなく、当たり前のこととして「自分と他人は違う」と意識して皆が生きている。どの感覚を使うかによって、喧噪の中から拾うイメージは随分と違ってくる。旅を終えた今では、そんな風に感じる自分がいます。Chennai

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2009年2月15日 (日)

1.「神戸」ー始点

 今回から連続8回、けいママに変わって私、“しょう”が昨年の11月から12月にかけて訪れたインドについて、あれこれと書かせてもらいます。第1回はスタート地点である我が街、神戸から。北野のジャイナ教寺院 神戸に住んでいなかったら、インドに行くことはなかっただろうし、ましてや南インドを旅することはなかったと思う。
 インド人経営の会社やレストラン、インド人の名前がついたビルがたくさんあり、インド人の会員制クラブや、会員制クラブ「INDIA CLUB」ジャイナ教の寺院まである街。インドについて、とことん知りたい気分にさせてくれる環境が、神戸にはある。
 当然、インド人と知り合う機会も多いし、インドについて深く理解した日本人もいる。彼らと話すと、それまでの自分の持っていた印象は随分狭いものだったと気づく。
 タージ・マハルやガンジス川など一部の地域だけの感想、「好きか嫌いか、はっきり分かれる」という意見。別世界に相対して神聖視するか、目を塞ぐか、フタをするという。
 こうした伝聞と、友人たちに教えてもらう情報とのギャップは次第に大きくなり、比例するように私の旅心を誘った。ケーブルTVでクリケット観戦中この目で確かめたいと思うようになった。
 優秀なITエンジニアを生み出す国、超高額で取引される現代アートの国、仲良くなれば新鮮な感覚の温かさで迎えてくれる、彼らの故郷がどのような場所なのか。

 次回から、私が見た初訪問のインドをご紹介します。

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