2017年6月23日 (金)

草の辞典

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 ふらりと立ち寄った本屋で目にして、パラパラとめくって即購入した本。その決め手って一体何なのでしょう? それは多分、心の片隅の小さなポケットのような部分に思わず触れて、「うん?これは?」と、取り出してじっくり眺めてみたくなるよう感覚でしょうか? 何せ手元に置きたくなるんですよね。iCloudにあるから、ネット上にあるからいいじゃん!では無く。
 さて著者の「森乃おと」さんのメッセージを少し抜粋します。
 『草の辞典』に登場した花の多くは雑草です。雑草というと、つまらない草、ありふれた草というイメージですが、こうして並んだ写真を見ていると、まるで宝石箱のようだと思いませんか?
 思います!思います! シロツメグサやスミレ、コバンソウなど四季を通じて、どこにでも見かけられるような草花の、何と輝いていることでしょう。真剣に花の名前を調べる。調べたい!という場合には、正直少し不向きな辞典かもしれませんが、まずはそのとっかかりを与えてくれるという意味において、とても素敵な辞典だと思います。
 私はベッドサイトにこの本を置いて、寝る前の僅かな時間に眺めたり、拾い読みをしたりしていますが、そんな時にふと昔大好きだった曲の一節をいつも思い出します。
 “野に咲く花の、名前は知らな〜い。だけども野に咲く花が好き。”
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   “どの草にも名前があり、それを知ると自然はくっきりと見えて来ます。”と著者の言葉。
 確かに! 名もない雑草は無いと言いますね。我が家のベランダでいつの間にか葉を茂らせた・・・実はこれ、今大流行の「コリアンダー」なんですが、その名を知らなければただの雑草にしか見えない?
 季節の訪れ、変わり目を、懸命に生きる姿で私たちに教えてくれる草花たち。心に余裕があれば、草花を愛でようという気持ちがあれば、日々の営みはうんと楽しくなっていくのですね。
 そうそう、辞典の中のパート2・花のこと葉の章にこんなこと葉を見つけました。
 “別れる男に、花の名を一つは教えておきなさい。花は毎年必ず咲きます。川端康成”
 草花に込められた、秘められたこと葉の世界。様々な花言葉に加えて、草花を料理やお茶など生活に取り入れて楽しむ知恵もいっぱい詰まったオススメの辞典です。

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2016年6月28日 (火)

村上柴田翻訳堂

 世の中にはなんと、たくさんの本が溢れていることでしょう? 次から次へと目まぐるしく変わっていく本屋さんの書棚。ほんの数日前に見かけて、どうしようかな?買おうかな?と、もう一度立ち寄ってみると、もうその場所には無かった!って、よくあること。

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 そんな時代の流れの中でこのお二人(村上春樹氏と柴田元幸氏)がタッグを組んで、過去の忘れがたい作品をもう一度翻訳して、世に送り出してくださるという・・・なんかその試みにエールを送りたくて、即買ってしまいました。「村上柴田翻訳堂」と題して、この先何冊か出版されるそうですが、まずは村上春樹氏の新訳による「結婚式のメンバー」。
 作者のカーソン・マッカラーズは1917年、アメリカ南部の小さな町に生まれた女流作家。この小説は、他人との関わり方に問題を抱えていた彼女の、言わば自伝的な小説なのだけれど、何がどうして、どうなった・・・的なストーリーが極めて少なく、読書に対しても「いらち」な私としては、何度かイライラ! それでも結局最後まで読んでしまったのは、やはり翻訳者の凄さ? それもあるけど、それだけではないです、もちろん。
 この6月に66歳の誕生日を迎えた私が、小説の主人公である12歳の少女の、多感な、とても複雑な心境をこれでもか!って、多少苦痛に感じるくらい読まなくてはいけなかった。にも関わらず、とてもいい小説だったと思えます。もう一度読んでみようかな?と考えています。どんだけ〜!と気が遠くなるくらい彼方の、自分自身の少女時代を、ふと重ねてみて「うん、わかるなあ!」とうなづいたり、人の感情は時代の流れにそうやすやすと左右されるものではないのだ、と納得したり。
  村上氏が訳者解説の中で「翻訳というのは究極の再読」と書かれているように、深く掘り返してみたり、後ろを振り返ってみたり、というような行為は読者の側にもあるべきなのでしょう。
 最近は「モノの整理」で、さっさとブックオフに行ってしまう本もある我が家の書棚に、ちんまりと収まっている一冊。訳者にとっては「してやったり!」なのかな?
 

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2015年11月19日 (木)

ミラノの太陽、シチリアの月

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 ミラノの太陽? ミラノって霧じゃなかったの。 シチリアの月? シチリアは太陽ギラギラだよね。そんな引っ掛かりを作るのもうまい、内田洋子さんの著書のタイトル『ミラノの太陽、シチリアの月』(小学館文庫)。もちろん読めばすごく納得のお話が出てまいります。以前ご紹介した『ジーノの家』(文春文庫)ですっかりはまってしまった奇妙で不思議な内田ワールド。現地のイタリア人が読んでも、「こんなイタリア人もいるんだ」、「こんな暮らしがイタリアにはあるんだ」と驚くようなヘンな人たちが繰り広げる、ちょっといい話。
 異文化を書く意味は、知らない価値観や異なる習慣を紹介して、読者の世界を広げることにある。そのためには、読者の知らない世界を見聞することだ。昔マルコポーロがそうしたように。しかし交通網が発達し情報化が進んだ21世紀、よほどの辺境へいかない限り大きなカルチャーショックを受けるような事象には出会えない。イタリアだけじゃなくアメリカでもフランスでも事情は同じ。だからこそ、これほどディープに少数派コミュニティや裏社会に入り込んだ内田さんのノンフィクションは素晴らしいのだ。

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 『皿の中に、イタリア』(講談社)も含めて、内田さんのいろんな著書はそれぞれ10編ぐらいのお話がおさめられている。余分な説明的なところが一切なく、極めて簡潔に、必要十分な言葉だけでつづられた名文だ。それらの中には「あ、あの人だ」と気づく人たちが登場することがある。それはシチュエーションを変え、時間経過を変え、その人の別の側面を垣間見せる。それによって、また人間への理解が深まるのだ。
 これら3冊の著書を読み終わって、こんなことを考えた。珍しい事象、というのはとんでもなく遠いところにしかありえない、という考えは間違いだと。私たちの身の回りには、いっぱい奇妙で不思議な出来事が起こっている。でも何でも分かったつもりになっているだけなのだ。もっと言えば、より深く知ろうという意欲が薄れている=社会の老化現象?とでも呼べそうな時代になってしまっている。丁寧に、真剣に、物事に興味を持って生きないとなぁ、と思うのですが、いかがでしょうか。見るモノ聞くモノすべてが初体験で珍しく面白かった、子供のころのように。

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2015年9月 6日 (日)

ペルフェット! ジーノの家

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 こんな面白い本が出ていたなんて! あぁ知らなんだ、あぁ不覚。発行されてから4年、文庫化されてからも2年。たまたま見かけて読んでみたら、完璧にノックアウトされました。内田洋子さん、あなたはスゴイ! ペルフェット、パーフェクト、完璧。何年も時間をムダにしてしまった感じです。
 内田洋子著『ジーノの家』(文春文庫)、サブタイトルに「イタリア10景」とある。それだけ聞くと、淡々としたあまりドラマチックな展開もない、上品なエッセイ集かと思うでしょ。ところがどっこい、これがあっと驚くような展開を見せるのだ。短編小説の名人が数ある自身の傑作から厳選しても、これだけの10作を集めるのは至難の技だろう。しかも、これは小説=フィクションではなく随想なのだ。内田さんが実際に体験したことなのだから。すごいことです。

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 イタリア関連の本はけっこう注意しているのに、今まで気付かなかったのは本当にうかつでした。文章の美しさ、品格では須賀敦子さんに匹敵する。それでいてネタははるかに面白いんだから。すでにいっぱい出版されているので、これから次々と読んでしまいそうです。で、まずは『皿の中に、イタリア』(講談社)を買ってまいりました。

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2015年4月15日 (水)

人口減少社会の行く末

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 消滅の可能性がある896市町村のリスト。このあまりにもむき出しの具体性が社会に大きな衝撃を与えました。「これから日本が人口減少社会に突入する」と知識としてわかっていても、どこか他人事のようで危機感なく過ごしてきた私たち。そこへ突然ぐさっと突きつけられた匕首が日本創生会議 座長 増田寛也さん編著の『地方消滅』(中公新書)です。若年女性の減少率に注目した人口減少の構造分析。これがリアリティあふれる説得力を生み、同時に減少に歯止めをかける処方箋も導きだしている。昨年の秋からいろんなメディアにも取り上げられ、大いに話題になりました。
 いまのペースでいけば100年後には半分以下の5,000万人になってしまう。そして300年後には日本人はいなくなる。ここまでいくとジョークのようになってしまい、リアリティがなくなるか、あるいは思考停止に陥ってしまう。だから、ある程度の水準で安定させる政策が一刻も早く始める必要がある。ただし、この解決策はきわめて難問だ。人口減少という問題からは、東京一極集中や女性の社会進出の少なさや格差の拡大など、さまざまな政策課題が浮かび上がる。だからこの本で示された分析のシャープさには異論はないだろうが、その解決策についてはいろんな考えがあって当然だ。
 議論も大切ですが、まずは、人口減少が大変な事態を招く、そしてそれは今ここにある危機なのだ、と私たちみんなが共通認識を持つことからスタートしないといけないのではないでしょうか。

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2015年4月 3日 (金)

世界でいちばん貧しい大統領?

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 2010年3月1日から2015年2月28日までの6年間、ウルグアイの大統領をつとめたホセ・ムヒカ。彼は大統領公邸には住まず首都モンテビデオ郊外の質素な農場で奥様と二人で暮らしていた。そして在任中に給料の9割を慈善団体に寄付し続け、公用車は使わず愛車の古いフォルクスワーゲン ビートルで仕事に出かける。国際会議に出席するときも飛行機はエコノミー。まあそんなわけで世界でいちばん貧しい大統領、と呼ばれている。

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 このムヒカ大統領が世界の脚光を浴びたのが、2012年ブラジルのリオデジャネイロで開催された「国連 持続可能な開発会議」での素晴らしいスピーチです。そのスピーチが日本で絵本になったのです。くさばよしみ:編、中川学:絵による『世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ』(汐文社)。彼は古代のエピクロスやセネカの言葉を引用しながら述べます。「貧乏とは少ししか持っていないことではなく、無限に欲があり、いくらあっても満足しないことです」。

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 地球の自然と調和した発展を続け、世界から貧困をなくすためにどうしたらいいか。いままで私たち(西洋のいわゆる先進国)が築きあげてきた物質文明、消費文明を見直すことがたいせつだと主張する。つまり目指してきた生き方をこのまま続けていいのか、と警鐘を鳴らす。70億や80億の全人類が、西洋社会と同じようにものを買ったり使い捨てにしたりできると思いますか。その原料が、いまのこの世界にあると思いますか・・・。
 わかりやすい言葉で話されたシンプルな原理。でも「もっともっと」と発展してきた近代社会の価値を転換するのは、とてつもなく大きな力が必要でしょう。でも時間切れになる前に、ひとりひとりの身の回りからでも始めないとね。

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2013年9月10日 (火)

「楽園のカンヴァス」

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 山本周五郎賞に輝いた原田マハさんの『楽園のカンヴァス』(新潮社)は、ピカソとルソーと言う2人の巨匠の画家が登場する、史実に基づいたフィクションです。
 「ふ〜ん、でも断然ピカソのほうが有名だよ・・・ね? ルソーの代表作って? あっ、ピカソと同時代の画家だったんだ! しかも2人は交流があったのか」。 と、この本を読み始める前のけいママの知識は実に乏しいものでありました。巨匠!ごめんなさい。
 ルソー晩年の傑作「夢」。それとそっくりな作品が描かれた「夢を見た」は真作か贋作か? 絵画の世界を震撼させるミステリー。それにしても名画って何なんでしょうね。だれが、どうやってそれを決めるのでしょうね。
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 ともあれこの物語を読み終えた後、ルソーの作品とやらが気になって仕方がない。ネットであれこれ調べてため息を付く。「ふ〜ん、ヘタウマと言われてはったんか」。貧困の中で、それでも情熱を注いで作品を描き続け、認められることもなく世を去った・・・ そんな画家たちの、なんと数多いことか。
 原田マハさんは20年近く美術の世界に居た方だそう。ピカソとルソーの物語を「いつか表現できたら」と、長く温めてこられて誕生したこの物語は、贅沢なそのお裾分けを頂戴しているような読後感。これほどまでに、行間から色鮮やかなシーンを想像し、わくわく出来る本にはちょっとお目にかかれないと思います。
 名画からこぼれ落ちた、まるで緑の深い森をさまよっているよう魅惑的なストーリーを堪能したら、次は美術館に行ってみたくなりました。出来れば「アンリ・ルソー」を観に。

 

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2012年9月27日 (木)

ヒヤシンス・ブルーの少女

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 先日ご紹介した「ターバンを巻いた娘」は、まさしくフェルメールの代表作を意図して描かれた物語でした。一方今日ご紹介する「ヒヤシンス・ブルーの少女」は、フェルメールの架空の名画を題材としています。
 縫い物の途中で手をとめ、窓から外を見ている少女・・・ 真珠のような目、蜂蜜色の頬、かすかに開いた口、そして少女が着ているスモックは、咲き初めたばかりのヒヤシンスのような濃い青だった。たとえ描き手がフェルメールだと証されなかったとしても、読み手は「ああ〜」と、納得し、そのミステリアスな世界にどんどんと引き込まれて行く。
 1枚の名画は、人々の感嘆の中で輝き続けながら、さまざまな所有者の手に渡って行きます。この物語がとても魅力的である一つの所以は、物語が歴史をさかのぼってゆくという、構成の妙にあると思います。
 現在からナチスの時代へ、さらに19世紀始めへ、オランダが歴史的な洪水にみまわれた1700年代へ、さらに1670年頃のデルフトに至って、その絵が描かれる瞬間へと、息を呑むほどの展開!
 それにしても「名画を所有する」と言う行為には、どんな意味があるのでしょう? いえ、本書に登場する人々が「ヒヤシンス・ブルーの少女」を手に入れた時はまだ、それが名画なのだという固定観念は少しもなかったのです。彼らはただその絵を一目見て感嘆し、我が身のそばに置きたいと願った・・・ そこには壁に飾られた絵を鑑賞するという至福の時間と共に、災害や、戦争や貧困といった厳しい現実社会がありました。そんな人々の営みの中で1枚の絵は時を重ね、やがて全世界を魅了する名画と呼ばれるようになる。
 って、どっこい! 「ヒヤシンス・ブルーの少女」は実在する作品ではなかったんだ・・・いやいや、その生涯に30数枚しか残さなかったというフェルメールの作品を、まさしくこの物語のようにひっそりと、人知れず所有する人物が居るのでは? そしてそれは、幸せな現実なのかどうか・・・ 深いブルーの闇の世界に誘ってくれるような不思議な名著。あなたもぜひ!
 そしてもうすぐ神戸にやって来るフェルメールをご一緒に楽しみましょう。もちろん、所有は出来ない・・・ あっは!

 ヒヤシンス・ブルーの少女
 スーザン・ヴリーランド/長野きよみ(訳)
 早川書房

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2012年9月21日 (金)

ターバンを巻いた娘

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 「世界一有名な少女がやって来る・・・」六月に東京に滞在した時に、そんなキャッチコピーのポスターをあちらこちらで見かけました。そして少女は神戸にカミング・スーン。
 胸の高まりを押さえつつ、本棚からけいママが取り出した本。その表紙にはあの少女が!
 そう、世界一有名な少女・・・ 彼女はいったい誰なのか? 数々の謎に包まれた名画は、文学者にとっても創作意欲をそそられる題材なのでしょうね。
 イタリアの女性作家・マルタ・モラッツォーニによる短編集の中に、表題にもなっている「ターバンを巻いた娘」というフェルメールゆかりの物語があります。
 とあるオランダの画商が1枚の絵を携えてデンマークへと赴き、商談を成立させて帰国するという、ただそれだけのちっともドラマチックではない展開。そしてその絵がフェルメールのものだとも、かの有名な名画だとも証されないのに、最後にちらっとこんな記述があります。
 顔を四分の三ほどこちらに向けて、頭はターバンで束ねられ、耳に真珠をひとつ・・・ デンマークに渡ったその名画は、やがて時を経て画商の息子が引き取りに旅立つところで終わるのですが、格調高い文章の行間に作者の思惑と力量を思いっきり感じます。「さあ、あなたの目の前にあの絵が見えるでしょう? ターバンを巻いた娘があなたを見つめているでしょう?  彼女は何も語らず、それでもあなたは言葉を越えたメッセージを受け取るでしょう? もういい!もうたくさんってくらいに・・・
 ふう〜! パソコンの横に置いたこの本の少女が、ずっとけいママを見つめています。「助けてくれ! こんなつたない文章しか書けない私にお慈悲を・・・」と少女に懇願したくなる。
 残念ながら現在はすでに絶版だとか。いかんなあ〜、こんな名著が。どうしても読みたいって方はお助けマン・AmasonへGO!
 次回はフェルメール絡みの名著をもう一冊ご紹介します。

 ターバンを巻いた娘
 マルタ・モラッツォーニ著
 文藝春秋

 

 

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2011年9月 5日 (月)

おすすめの本『ぼくとチェルノブイリのこどもたちの5年間』

Photo  大震災に見舞われた地の子供たちは、どんな思いで、どんな夏休みを過ごしたのでしょうか。そんなことを考えながら、ぜひみなさんにご紹介したい本があります。
 著者の菅谷昭氏は現・松本市長さん。今年の夏に福島県の子供たちを「信州・ながわ」に招待。多くの制限を余儀なくされている子供たちは大はしゃぎだったようです。
 さて管谷氏のこういった放射能汚染にからむ社会活動は、1986年に起きたチェルノブイリ原子力発電所の爆発事故にさかのぼります。その頃甲状腺外科のお医者さまだった氏は、自分の力を役立てたいとベラルーシに飛びます。そこで過ごした子供たちとの5年間を綴ったこの著書は、過去から学ぶという意味でも今再びクローズアップされなければならない・・・ 悪夢のようでも現実ですね。
「まさか、この日本でこんな事故が起きてしまうなんて!」Photo
 日々報道される放射性物質・・・ セシウム、プルトニウムなどに混じってヨウ素(ヨード)って出て来るでしょう? 私は何だか疑問でした。「それってワカメなどに含まれているんじゃ? なんで放射性物質なんだろ?」って。この本を読んでみて、よく分かりました。それは放射性ヨードと呼ばれるもので、海藻に含まれている無機ヨードとは違うのだという事。海から遠く離れた海藻を食べる習慣のないベラルーシでは、人々の体、とりわけ子供たちの体が常にヨードを欲していて、大量にその放射性ヨードを体内に取り込んでしまった事。悲しいかな、体はいいヨード、悪いヨードまでをも区別することは出来ないのですね。
 子供向けにやさしく書かれた管谷さんの語りかけるような文章は、悲しい現実を伝えつつも、決して暗くもないし、優しさと前向きな気持ちにあふれています。
 それはベラルーシの子供たちが厳しい現実の中でも夢を失わず、ひたむきに一生懸命生きているからだと管谷さんは語ります。子供たちからそんな姿勢を学んだのだと。
 表紙の写真はタンポポが咲く汚染地域。人が住めないほどに放射能がひどく、建築中の建物がそのまま放置されているそうです。読み終わった後、眺めてみるとメッセージが浮かび上がります。それは1枚の写真が放つ強烈なメッセージです。

 ぼくとチェルノブイリのこどもたちの5年間
 管谷昭著
 ポプラ社
 
 
 

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