2020年4月12日 (日)

コロナの時代をどう生きるか

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 1982年トリノ生まれ。イタリアを代表する作家で素粒子物理学者でもあるパオロ・ジョルダーノが、2月末から3月20日にかけて母国の混乱の中で書き記したエッセイ集が世界27ヵ国で緊急出版されることになった。日本では『コロナの時代の僕ら』(早川書房 飯田亮介訳)というタイトルで4月25日に刊行される予定です。それに先立ち、4月10日19時から24時間限定で全文が公開されました。27篇の興味深いエッセイと示唆に富んだあとがきが、しかも無料で。著者にも出版社にも感謝です! これを読むチャンスがなかった方は、本が出たらぜひ世界の知性の考えをお読みください。

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 科学者らしい論理的な思考で、しかもやさしい言葉で話を進めるからとても説得力がある。ウイルスは僕らの個性に対し何の関心も持っていないという事実。年齢、性別、国籍、階級、貧富の差など意味はないのだ。他人事と思っていた市民、決断力のない行政、見解が相違する専門家。そのそれぞれが互いに不信感をいだき悪循環に陥る。デマは感染症のように広まる。どれも納得のいくことばかり。そして新型コロナウイルスの流行は一つの症状にすぎず、本当の感染は地球全体の生態系レベルで起きているという。
 何より大切なのは、この感染症が終息した後の世界を考えておくことだと彼は言う。コロナ前とコロナ後、世界は変わっているはずだ。この経験を忘れず、次に起こるかもしれない「まさかの事態」を想像しておこう。もう二度と不意を突かれないために。

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2020年3月 8日 (日)

「薪を焚く」は名著だ

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 信州の山の家では薪ストーブを使っている。ストーブに換える前の暖炉時代を含めると、薪との付き合いはもう30年以上。だから薪や斧やストーブの情報には常に注意を払っている。そんななかで最近見つけたラーシュ・ミッティング著『薪を焚く』(朝田千恵訳 晶文社)が素晴らしいので紹介します。冬は零下30度にもなるノルウェーの作家ならではの著作だ。

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 伐って、割って、積んで、乾かし、燃やす。あらゆる角度から薪にまつわる情報を集めた本は今までなかった。もちろん日本とは気候風土が違うので、薪に使う樹種も違うし乾燥のさせ方も異なる。でもその目的は同じなので、基本的なところは「そうだ、そうだ。なるほどね」と参考になることが多い。しかも読み物としてもおもしろい。

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 エネルギー事情の変遷。道具の進歩にともなう実践的な技術。その背後にある歴史や文化。森林大国ノルウェーの人たちが長い時間をかけて培ってきた薪に対する哲学と美学と叡智が詰まっています。地球環境に対しても森林資源を上手に利用することは、化石燃料を消費するよりずっといい。再生可能な未来への希望。

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 また知らなかったけれど、ノルウェーでは『薪アート』が盛んで、よくコンテストも行われているという。たとえば、魚の形に積んだ作品。国王の75歳を祝して国王夫妻の似顔絵を薪で作った作品などなど。薪積みを単なる労働ではなく、こんな楽しみに変えてしまうなんて! 有史以前から続く、炎と人の親密な関係。この本は教えてくれます。薪を焚くことは、暖をとる以上のなにかだと。

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2019年7月21日 (日)

コロンブス交換とグローバリズム

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 トウモロコシってたしか中南米原産だったよねぇ、と先日ブログを書くためにヤングコーンを調べていたとき知った言葉がコロンブス交換(Columbian Exchenge)です。アメリカの歴史学者アルフレッド・クロスビーが1972年に提唱した考え方。1492年にコロンブスがアメリカに到達したことをきっかけに世界は激変したことは、教科書でも習いました。トマトを使わないイタリア料理、ジャガイモがないドイツの食卓が想像できないほど彼らの血肉となっている食材や、ゴムの木やタバコがアメリカ大陸からもたらされたこと。そして馬や牛、羊や豚はそれまでは新大陸にいなかったこと。ヨーロッパ人もアフリカ人も、マラリアや高熱病の病原体までもが海を渡ったことなどをあらわす。

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 そのコロンブス交換をテーマに、サイエンス・ライターのチャールズ・C・マンが膨大な資料と綿密な取材で描き出し、全米でベストセラーになったのが『1493ー世界を変えた大陸間の「交換」』(紀伊國屋書店)。とても興味はあるけど800ページ以上あるし、と思案していた時に見つけたのが、こちら。レベッカ・ステフォフがわかりやすくコンパクトにまとめてくれた『1493ーコロンブスからはじまるグローバル社会』(あすなろ書房)です。銀山の発見、単一作物を作るプランテーション、アフリカからの奴隷売買などが、人類の歴史や地球の生態系に与えた広範な影響が詳細に述べられている。

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 コロンブスの業績については近年特に批判的な見解が目立ちます。たしかに光と影の部分があり、アメリカ大陸側から見れば文化や生活スタイルの破壊など負の側面が強いかもしれません。それでも彼の航海がなければ、現在の世界はありえない。良くも悪くも世界は一つになった。グローバリゼーションの第一歩だったのです。1942年に新世界へ到達し、1493年に旧世界に帰還した地球史的な事件。それ以降の出来事の本質を的確にあらわすコロンブス交換という言葉は、世界の歴史を考える新しい視点を与えてくれました。ただし『交換』と言っても利益と損失が両大陸に公平に分配されたわけではないことを忘れてはならないでしょう。

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2019年7月 9日 (火)

長場 雄の、おもしろ視点

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 すべての線は、名画に通ず。これは POCKET ART SERIES NUMBER ONE 『 YU NAGABA 』(株式会社オークラ出版)のオビに書かれた言葉だ。ベースは「全ての道は、ローマに通ず」。この言葉がすごく輝いているのは、この本がダ・ヴィンチやボッティチェリからキース・へリングやバスキアまで、誰もが知っている古今の名画を味のある線で描いたドローイング集だから。アーティスト長場 雄の自信。

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 ポケットに、手のひらに、いつも持ち歩いて、思いついたら開いて楽しめる。ページをめくりながらユニークな選択にクスッとし、省略のセンスにうなり、線の美しさにうっとりする。極限まで要素をそぎ落としたシンプルな表現なのに、元になった名画の色や深みがしっかり伝わってくる。これは並外れた才能とテクニックのなせる業。

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 いろんな名画が描かれているのに、モネの睡蓮は入っていない。たしかに、あんな絵は線では表現できないですよね。線で表現するのには得手不得手があるようです。でもクリムトやマネはちゃんと出ている。しかも一目でそれとわかる。「あ、なるほど!」、「こんどは、そう来たか」。目の栄養、プラス 頭の体操。ミケランジェロもマチスも、もう楽しくて中毒になりそうです。

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 誰もが知っている、あるいは知らなくても見たことはある、そんな有名なアート作品を独自のスタイルで表現する。これは過去の芸術にもう一度命を吹き込む作業だ。しかも美術の教科書を見るような堅苦しさがなく、すごい芸術作品にお近づきになる入口の役目。アートをもっと身近にしたい、という長場さんの思いで生まれた手のひらサイズの美術書。ぜひ一冊お手元に。

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2019年1月13日 (日)

タイトルは、月まで三キロ

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 伊予原新さんの短編集『月まで三キロ』(新潮社)がおもしろい。この「?」というタイトルにつられて、思わず買ってしまいました。「月まで三キロ」、「星六花」、「アンモナイトの探し方」、「天王寺ハイエイタス」、「エイリアンの食堂」、「山を刻む」の6編。今までちょっとなかった趣のお話に新鮮な感動を覚えました。オビには、「折れそうな心に寄り添う六つの物語」。まさにまさに、そんな珠玉の短編集です。SFではありませんよ。

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 潮汐トルク。遺伝的多様性。樹枝状六花。ノジュール。示準化石。年縞。クォークとレプトン。右巻きニュートリノ。苦鉄質包有岩。マグマ混相流。???なんじゃこりゃ??? という理系マニアックな言葉がいっぱい出てきます。でも作者が描きたいのは、親しい間柄でも分かり合えない哀しみ。人生にふりかかる苦悩。そして難解な科学用語をスパイスに生まれる、ほのかな希望。ほっこり温かくなる現代の人情噺です。

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2017年9月22日 (金)

オリーブの樹と「おおきな木」

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 神戸の街にオリーブの樹! 大丸創業300周年にあたり、神戸店一階に推定樹齢300年の大樹がお目見えしました。仕掛け人はプラントハンターとして世界中から珍しい植物を集めてくる、今をときめく有名人の西畠清順氏。そのトークショーに馳せ参じました。
 予想していた通り、無造作に束ねたカーリーヘアーに白いTシャツ、ジーンズ、素足にサンダル・・・。どこにでもふわっと出没して、周りの空気に溶け込んでしまう方なんでしょうね。

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 とても印象的だったトークを少し。「皆さんが今、ご覧になっているこの巨木のオリーブは、もはや実を付けなくなった老木。だからまな板とかスプーンとか、加工品になる運命だったんです。それを買い付けて運んで来ました、スペインから。僕がこの仕事で心がけている大事なことは“その木を生かすこと”。生かすって活かすでもあるんです。僕は15年間、生花の花を摘んで、摘んで、これって生花なのに、まずは花を摘んで殺すところから始まるやないかと・・・」。
 過酷な、大いなるプレッシャーとの戦いであるプラントハンターと言う仕事を、生き生きと常に笑顔でこなされる、その理由を垣間見た気がしました。

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 私、ちょっと思っていたんです。「せっかくその地に根付いている木や植物を、わざわざ金儲けのために運んでくるなんて・・・」。これ、大いなる間違いですよね。木は安住なんて望んでいない。遠くに運ばれても、そのために土を落とされ、枝を切られたって何だって構わない。そのおかげでまた蘇って実をつけるようになるのなら。生き延びて、子孫を残すことが出来れば。それが遠い異国だって、へん!望むところだい!
 西畠氏の尽力で鮮やかに息を吹き返したオリーブの樹を後に、ふと最近息子がプレゼントしてくれた絵本のことを思い出しました。

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 言わずと知れたシェル・シルヴァスタインの世界的ベストセラー「おおきな木」(あすなろ書房)。りんごの巨木は大好きな一人の少年に葉も実も枝も与え続け、やがて切り株だけになってしまいます。すっかり年老いた青年が切り株に力なく座り込むラストのシーン。以前から私はこの絵本を何処かで読んでいましたが、あまりにも悲しくて、とても絵本を購入する気にはなれなかったのです。でも息子が言いました。「何度も読んでみるといいよ。訳者である村上春樹氏が書かれているように、その折々で感じることが違ったりするから」。
 確かに。少なくとも「木はかわいそう」ではないと・・・。西畠氏のトークとは矛盾しているかもしれません。でも木の想いに、その木の想いに耳を傾けてみると、どちらの木も幸せなんですよね。遠くから運ばれて蘇ったオリーブの樹も、切り株になって、大好きな年老いた青年をそこに迎えたおおきな木も。
 木の幹に手を当ててその木と対話する。言葉を発しない木は、だからこそ多くの事を伝えるのかもしれません。これから先もこの絵本を何度も読み返すことにいたしましょう。

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2017年6月23日 (金)

草の辞典

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 ふらりと立ち寄った本屋で目にして、パラパラとめくって即購入した本。その決め手って一体何なのでしょう? それは多分、心の片隅の小さなポケットのような部分に思わず触れて、「うん?これは?」と、取り出してじっくり眺めてみたくなるよう感覚でしょうか? 何せ手元に置きたくなるんですよね。iCloudにあるから、ネット上にあるからいいじゃん!では無く。
 さて著者の「森乃おと」さんのメッセージを少し抜粋します。
 『草の辞典』に登場した花の多くは雑草です。雑草というと、つまらない草、ありふれた草というイメージですが、こうして並んだ写真を見ていると、まるで宝石箱のようだと思いませんか?
 思います!思います! シロツメグサやスミレ、コバンソウなど四季を通じて、どこにでも見かけられるような草花の、何と輝いていることでしょう。真剣に花の名前を調べる。調べたい!という場合には、正直少し不向きな辞典かもしれませんが、まずはそのとっかかりを与えてくれるという意味において、とても素敵な辞典だと思います。
 私はベッドサイトにこの本を置いて、寝る前の僅かな時間に眺めたり、拾い読みをしたりしていますが、そんな時にふと昔大好きだった曲の一節をいつも思い出します。
 “野に咲く花の、名前は知らな〜い。だけども野に咲く花が好き。”
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   “どの草にも名前があり、それを知ると自然はくっきりと見えて来ます。”と著者の言葉。
 確かに! 名もない雑草は無いと言いますね。我が家のベランダでいつの間にか葉を茂らせた・・・実はこれ、今大流行の「コリアンダー」なんですが、その名を知らなければただの雑草にしか見えない?
 季節の訪れ、変わり目を、懸命に生きる姿で私たちに教えてくれる草花たち。心に余裕があれば、草花を愛でようという気持ちがあれば、日々の営みはうんと楽しくなっていくのですね。
 そうそう、辞典の中のパート2・花のこと葉の章にこんなこと葉を見つけました。
 “別れる男に、花の名を一つは教えておきなさい。花は毎年必ず咲きます。川端康成”
 草花に込められた、秘められたこと葉の世界。様々な花言葉に加えて、草花を料理やお茶など生活に取り入れて楽しむ知恵もいっぱい詰まったオススメの辞典です。

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2016年6月28日 (火)

村上柴田翻訳堂

 世の中にはなんと、たくさんの本が溢れていることでしょう? 次から次へと目まぐるしく変わっていく本屋さんの書棚。ほんの数日前に見かけて、どうしようかな?買おうかな?と、もう一度立ち寄ってみると、もうその場所には無かった!って、よくあること。

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 そんな時代の流れの中でこのお二人(村上春樹氏と柴田元幸氏)がタッグを組んで、過去の忘れがたい作品をもう一度翻訳して、世に送り出してくださるという・・・なんかその試みにエールを送りたくて、即買ってしまいました。「村上柴田翻訳堂」と題して、この先何冊か出版されるそうですが、まずは村上春樹氏の新訳による「結婚式のメンバー」。
 作者のカーソン・マッカラーズは1917年、アメリカ南部の小さな町に生まれた女流作家。この小説は、他人との関わり方に問題を抱えていた彼女の、言わば自伝的な小説なのだけれど、何がどうして、どうなった・・・的なストーリーが極めて少なく、読書に対しても「いらち」な私としては、何度かイライラ! それでも結局最後まで読んでしまったのは、やはり翻訳者の凄さ? それもあるけど、それだけではないです、もちろん。
 この6月に66歳の誕生日を迎えた私が、小説の主人公である12歳の少女の、多感な、とても複雑な心境をこれでもか!って、多少苦痛に感じるくらい読まなくてはいけなかった。にも関わらず、とてもいい小説だったと思えます。もう一度読んでみようかな?と考えています。どんだけ〜!と気が遠くなるくらい彼方の、自分自身の少女時代を、ふと重ねてみて「うん、わかるなあ!」とうなづいたり、人の感情は時代の流れにそうやすやすと左右されるものではないのだ、と納得したり。
  村上氏が訳者解説の中で「翻訳というのは究極の再読」と書かれているように、深く掘り返してみたり、後ろを振り返ってみたり、というような行為は読者の側にもあるべきなのでしょう。
 最近は「モノの整理」で、さっさとブックオフに行ってしまう本もある我が家の書棚に、ちんまりと収まっている一冊。訳者にとっては「してやったり!」なのかな?
 

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2015年11月19日 (木)

ミラノの太陽、シチリアの月

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 ミラノの太陽? ミラノって霧じゃなかったの。 シチリアの月? シチリアは太陽ギラギラだよね。そんな引っ掛かりを作るのもうまい、内田洋子さんの著書のタイトル『ミラノの太陽、シチリアの月』(小学館文庫)。もちろん読めばすごく納得のお話が出てまいります。以前ご紹介した『ジーノの家』(文春文庫)ですっかりはまってしまった奇妙で不思議な内田ワールド。現地のイタリア人が読んでも、「こんなイタリア人もいるんだ」、「こんな暮らしがイタリアにはあるんだ」と驚くようなヘンな人たちが繰り広げる、ちょっといい話。
 異文化を書く意味は、知らない価値観や異なる習慣を紹介して、読者の世界を広げることにある。そのためには、読者の知らない世界を見聞することだ。昔マルコポーロがそうしたように。しかし交通網が発達し情報化が進んだ21世紀、よほどの辺境へいかない限り大きなカルチャーショックを受けるような事象には出会えない。イタリアだけじゃなくアメリカでもフランスでも事情は同じ。だからこそ、これほどディープに少数派コミュニティや裏社会に入り込んだ内田さんのノンフィクションは素晴らしいのだ。

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 『皿の中に、イタリア』(講談社)も含めて、内田さんのいろんな著書はそれぞれ10編ぐらいのお話がおさめられている。余分な説明的なところが一切なく、極めて簡潔に、必要十分な言葉だけでつづられた名文だ。それらの中には「あ、あの人だ」と気づく人たちが登場することがある。それはシチュエーションを変え、時間経過を変え、その人の別の側面を垣間見せる。それによって、また人間への理解が深まるのだ。
 これら3冊の著書を読み終わって、こんなことを考えた。珍しい事象、というのはとんでもなく遠いところにしかありえない、という考えは間違いだと。私たちの身の回りには、いっぱい奇妙で不思議な出来事が起こっている。でも何でも分かったつもりになっているだけなのだ。もっと言えば、より深く知ろうという意欲が薄れている=社会の老化現象?とでも呼べそうな時代になってしまっている。丁寧に、真剣に、物事に興味を持って生きないとなぁ、と思うのですが、いかがでしょうか。見るモノ聞くモノすべてが初体験で珍しく面白かった、子供のころのように。

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2015年9月 6日 (日)

ペルフェット! ジーノの家

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 こんな面白い本が出ていたなんて! あぁ知らなんだ、あぁ不覚。発行されてから4年、文庫化されてからも2年。たまたま見かけて読んでみたら、完璧にノックアウトされました。内田洋子さん、あなたはスゴイ! ペルフェット、パーフェクト、完璧。何年も時間をムダにしてしまった感じです。
 内田洋子著『ジーノの家』(文春文庫)、サブタイトルに「イタリア10景」とある。それだけ聞くと、淡々としたあまりドラマチックな展開もない、上品なエッセイ集かと思うでしょ。ところがどっこい、これがあっと驚くような展開を見せるのだ。短編小説の名人が数ある自身の傑作から厳選しても、これだけの10作を集めるのは至難の技だろう。しかも、これは小説=フィクションではなく随想なのだ。内田さんが実際に体験したことなのだから。すごいことです。

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 イタリア関連の本はけっこう注意しているのに、今まで気付かなかったのは本当にうかつでした。文章の美しさ、品格では須賀敦子さんに匹敵する。それでいてネタははるかに面白いんだから。すでにいっぱい出版されているので、これから次々と読んでしまいそうです。で、まずは『皿の中に、イタリア』(講談社)を買ってまいりました。

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