えっ、みんな背番号42?
WBC優勝で大盛り上がりに盛り上がった野球。その後メジャーリーグのニュースが特に増えたと思いませんか。先日も大谷をはじめ吉田やヌートバー、鈴木や菊池や藤浪の活躍ぶりを見ていたら・・・。 「あれ、あの選手の背番号、42だったっけ」 えっ、ありゃ、ピッチャーもバッターも守っている野手も、みんな背番号42!
その日はジャッキー・ロビンソン・デーだったのです。1947年4月15日、彼はブルックリン・ドジャースの開幕戦で黒人初のメジャーリーガーとしてデビュー。これが人種差別を否定する野球界の新しい流れの第一歩となった。彼の偉業をたたえるため、いま4月15日は全チームの全選手が背番号42のユニフォームでプレイします。
ブライアン・ヘルゲランド監督の『42 世界を変えた男』は、ジャッキー・ロビンソンの伝記映画です。「野球は白人のスポーツだ」という信念は、選手も観客も球団関係者もマスコミも、みんなの常識だった。特に南部ではジム・クロー法や人種隔離政策で、黒人はスポーツすること自体が難しい時代。考えればついこの前のことです。
ニグロ・リーグで細々と野球をやっていたジャッキーは、ドジャースのGMのブランチ・リッキーから誘われる。差別行為に対し、すぐ怒りを表す短気な彼は、差別の殿堂のようなメジャーリーグに入るべきかどうか大いに悩む。リッキーの強引な説得に覚悟を決めたジャッキー。しかし差別は想像をはるかに超えていた。
衣、食、住、生活のすべてで。実力の世界のはずのグラウンドでも。相手チームはもちろんチームメイトまで。負の歴史と悪しき慣習に染まった人々に差別=悪という意識はまったくない。ジャッキーが活躍すれば、黒人選手がどんどん後に続いて野球界が発展すると考えていたのは、GMのリッキーぐらい。彼も戦っていたのだ。
いくら誹謗中傷を浴びせられても、自制心を貫き通し、勝利に向かってプレイに徹するジャッキー・ロビンソン。この姿勢が次第に周りの人々の心をつかんでいく。最初にGMのリッキーと約束した、人種差別に打ち克つ勝利の方法はこれだった。野球はアメリカの民主主義の象徴だ、と言いながら平気で差別していた社会に。
いま黒人をはじめ日本人や中南米人など、多くの非白人メジャーリーガーが活躍している。実力ある人に広く門戸を開放しているからこそ世界トップを保ち、ビジネスとしても成功している。この映画はその開拓者の物語。ちなみに背番号42は、いまメジャー全球団で永久欠番になっている。もちろんこんな例は他にない。
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