ピアノに憑りつかれた男
1940年、ブラジルのサンパウロに生まれた天才ピアニスト、ジョアン・カルロス・マルティンス。ブルーノ・バレット監督の『マイ・バッハ 不屈のピアニスト』は、ジョアンの激しく乱高下する生涯と不屈の精神を描いた感動的な伝記映画だ。フィクションならウソっぽくなるほど次々と襲いかかる困難と、そのたびに蘇る姿に圧倒されました。
9歳でブラジル・バッハ協会のコンテストで優勝。18歳でカザルス音楽祭に招聘され、21歳でカーネギーホールにデビュー。世界中のオーケストラと共演し、バッハ作品を多数録音。しかし25歳のとき彼が住むNYに遠征にきた地元サッカーチームの練習に飛び入り参加し大怪我を負う。右腕の神経を損傷し、右手指3本が筋萎縮。
ピアニストとしてのキャリアをあきらめた彼は、音楽やスポーツ関係のプロモーターや銀行業や建設業などを転々とする。しかしピアノへの情熱に突き動かされ、懸命のリハビリを続け38歳でカムバックを果たす。45歳にかけてバッハの鍵盤楽曲すべてをレコーディングするという偉業を達成。20世紀最高のバッハ演奏家と称される。
その後も後遺症に悩まされ、活動と休止を繰り返す。55歳のとき公演先のブルガリアで強盗に鉄パイプで殴られ脳を損傷。手術とリハビリの甲斐なく右手の自由を完全に失う。しかしラヴェルの『左手のためのピアノ協奏曲』を録音しコンサートを再開。そのうち左手にも障害があらわれ、ついにピアニスト生命を断念する。
これだけでも凄まじい音楽家人生なのですが、まだ続きがあります。信じられないことに彼は懸命な努力の末に、指揮者として再起する。そして80歳を超えたいまも、海外のオーケストラや自身がブラジルに設立したバッハ・フィルハーモニー・オーケストラを指揮し、次世代の音楽家を育成する活動を行っているそうです。
右手がダメなら左手で。両手ともダメなら指揮者で。彼のピアノへの執着、音楽への情熱は、どこから生まれてくるのでしょうか。天使か、悪魔か。しかし純粋に、厳格に、音楽だけに身を捧げたわけではない。ラテン気質なのか、海外で公演の直前まで娼館に入り浸ったり、見知らぬ女に誘惑されたすえ暴漢に襲われたり。
おバカというか、きわめて人間らしい側面も描かれていておもしろい。決して音楽に特化した天使や怪物ではなかったのだ。とは言え、これほどの人間が存在することを知った驚きは大きい。ここで使用された楽曲はすべて彼自身の演奏によるものだそうです。その本物の音とともに鑑賞すると、ますます感動が深まりました。
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