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2017年8月 1日 (火)

戦国の悲劇を歩く

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 先日、「祠峠講座」という催しに参加してきました。旧安曇村・大野川から旧奈川村に抜ける鎌倉街道を歩き、ここを舞台にした戦国時代の悲話を聞きながらゆかりの神社跡を巡るというもの。「山歩きができる服装で」とは聞いていましたが、約7kmの行程を6時間かけて歩く予定なので、すこし軽く見ていた。ところが実際に歩いてみると、ヤブ漕ぎあり、足元が崩れるガレ場あり、滑りやすい急な崖ありで、大変なルート。まさに道なき道、ケモノもめったに通らないケモノ道を行く。

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 戦国の悲劇の主人公は三木(姉小路)秀綱とその奥方。秀吉に抗ったため攻められ落城。飛騨の国から信濃の波田へ落ち延びる途中で命を落とす。Photo_8 二人は2ルートに別れて北アルプス越えを敢行するが、いずれも落ち武者狩りにあい、非業の死を遂げる。手を下した奈川の豪族が、たたりを恐れて秀綱神社を建てたという言い伝えの舞台。
 峠に到着すると、傾いた鳥居は残っているが社殿は崩れ落ちていた。ただしこの神社は梓神社。そしてここから奈川寄りには、崩れた住居跡がぽつりぽつりと現れる。

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 このあたり、なぜ廃墟になったのか、と言えば、その道が使われなくなったから。なぜ使われなくなったのか、と言えば、ダム湖ができて通り抜けできなくなったから。Photo_10 通り抜けできなくなった住民たちは集落を出て行った。そして住宅も神社も打ち捨てられ、建物の残骸だけが残り、その住居跡も草に覆われ土に帰ろうとしている。祠峠を奈川側へ険しい道を下り、やっと秀綱神社を見る。この社も住民が集団移住した下流の波田に神さまを移し、空っぽの社と拝殿が残るのみ。

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 原因となった東京電力の奈川渡ダムの建設は、戦国時代から続く歴史からみると意外と最近というべきか、まだ50年ほど前のこと。昭和42年ごろに奈川村の集落が水没により住民が移住。安曇村の集落もダム湖によって生活圏が分断され、人が住まなくなった。Photo_9 いまは朽ち果てた家屋の残骸も秀綱神社も、廃墟マニアには魅力的かもしれないが、なにせガイドさんなしでは遭難してしまいそうなわかりにくい場所。歴史ロマンよりアプローチの困難さが勝る。ちょっと観光資源にはなりづらいか。
 今回は「祠峠講座」のおかげで貴重な体験をさせていただいて、感謝です。

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