森村泰昌に出会うとき
ダ・ヴィンチ、レンブラント、デューラー、カラヴァッジョ、ゴッホ、フリーダ・カーロ、アンディ・ウォーホール・・・有名な画家の自画像、に扮してセルフポートレートを撮る森村泰昌。
個人のアイデンティティー、本当の自分、などいろんな言い方があるが、そもそもそんなものがあるのだろうか? 自我の確立、なんて西洋近代思想が抱いた幻想かもしれないじゃないですか。
だれもが時代や属する社会の中で、自分がなりたい、あるいはまわりから期待される、『自分』を演じているに過ぎないのかも。無意識のうちに。たとえば母、たとえばアーティスト、たとえば市長、たとえば強い男、たとえば話の分かる人、たとえば悪人。みんなみんなそうかもしれないけど、そうじゃない部分も持っているのだし。簡単に決めつけられない。決めつけられたら困るのだ。
時代も超え、男女の差も超え、年齢も超え、『誰か』に扮する森村泰昌。それも意識的にデフォルメしていろんな『自分』を見せる。自身を消すことによって融通無碍な大きな器こそ人間の本質だとでも言うように。多重人格であるハズの過去の巨匠が自画像に何を込めたのか、何を演じていたのか。滑稽なような、怖いような、人間の奥深さを見た思いです。
森村泰昌 自画像の美術史
「私」と「わたし」が出会うとき
国立国際美術館
2016年4月5日(火)~6月19日(日)
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