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2016年5月

2016年5月31日 (火)

野麦峠まつりも無事終了

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 お天気にも恵まれ、野麦峠まつりも大盛況のうちに終了しました。地元の松本市奈川と高山市高根の小中学生が、工女さんの衣装を着て信州側と飛騨側から野麦峠の古道を登り、上の峠に集合する。信州側からは夏の衣装、飛騨側からは冬の衣装をそれぞれ着て往時をしのぶ。簡単に言えばこんなお祭りで、今年が第34回だという。

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 峠のお祭り会場では、特産のソバや山菜おこわ、サバとウドの味噌汁やキビ大福などを販売するテントが並ぶ。地酒メーカーの試飲ブースもある。はやりのゆるキャラも来ている。まだ歴史の浅いイベントなので、子供からお年寄りまで楽しめるさまざまな工夫がされていて、地元の力の入れ具合が伝わってきて好感を持てる。

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 松本市の和太鼓グループの迫力ある演奏や、工女の孫だという語り部のおじいさんの興味深い話もあって、けっこう盛りだくさん。乗鞍岳を望む野麦峠を舞台に開催されるこのお祭り。外国人の姿も目立ちました。聞けば松本大学には海外からの留学生がたくさん来ていて、そんな彼らがとても興味をもって参加したそうです。SNSでどんどん情報を発信してくれると、奈川もインターナショナルになるかな?

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2016年5月28日 (土)

METのロベルト・デヴェリュー

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 NYメトロポリタン歌劇場のライブビューイング。ドニゼッティの歴史劇「ロベルト・デヴェリュー」を観ました。これは2016年4月16日に上演されたもの。マウリッツィオ・ベニーニ指揮、デイヴィッド・マクヴィカー演出で、若い恋人の裏切りに怒り狂うエリザベス1世の苦悩と悲しみを柱に、愛、友情、嫉妬、忠誠心、貞節などをテーマにドラマチックに進行する。

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 新演出ということらしいが、劇中劇のカタチを取っているのが面白い。当時の宮廷人たちが観客となり、ひそひそしゃべったり演技に反応したり、話の展開に一喜一憂している。そんな舞台を私たちが見ているのだ。じっさい昔も今も民衆は有名人のスキャンダルを覗き見するのが大好きだ。なにしろエリザベス女王は一生独身だったから、特に興味津々だったのでしょう。

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 69歳で亡くなる年老いた女王の晩年を、ソプラノのソンドラ・ラドヴァノフスキーが見事に演じている。激しい嫉妬、すさまじい怒り、権力者にもかかわらずそして年齢にもかかわらず滲み出るいじらしい恋心・・・難しい役をベルカント唱法の驚異的な歌声と真に迫る演技力で表現しています。一世一代のステージだったかもしれない。

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 女王以外のキャストも素晴らしい。ロベルト・デヴェリュー役のマシュー・ポレンザーニ(テノール)、サラ/ノッティンガム侯爵夫人役のエリーナ・ガランチャ(メゾソプラノ)、ノッティンガム侯爵役のマリウシュ・クヴィエチェン(バリトン)。さすがに世界最高峰のMETです。終わっても立ち上がれないほどの感動。もちろんニューヨークの観衆はスタンディングオベーションで、カーテンコール鳴りやまず。これは本当に歴史的名演だったのではないかと思いました。

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2016年5月25日 (水)

マクベスを映画で観る

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 今年はシェイクスピアの没後400年だそうだ。一昨年の秋、ロンドンで再現されたグローブ座を見たが、丸い藁屋根の芝居小屋は今年は周年事業でさぞにぎわっていることだろう。さて今年はロンドンに行く予定はないので、神戸の映画館で『マクベス』を観ることにしました。(まったくカンケーない話ですね、スミマセン)
 舞台とスクリーンの違い、その一番は映像美。スコットランドの荒々しい自然が最高の美術セットになっている。弱い光、もやと霧が立ち込める寒々とした空気を、見事なカメラワークで切り取っている。この霧は「洛中洛外図屏風」の雲のように、場面の転換や次元の飛躍にも効果的に使われている。

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 二番目に表情アップの演技力。善と悪のせめぎあい、欲望と恐怖、自分でも抑えられない狂気・・・心の中の葛藤をアップで映る眼や口元で表現する、映画ならではの役者さんの演技力が試される。舞台ではもっと手の動きや体のこなしで、悲しみや苦しみを表しますが。
 三番目は21世紀の映画ならではの撮影技術、編集技術で生み出されるリアリティ。「お芝居のような」場面が、臨場感あふれるシーンに。コスチュームのデザインや質感も、中世の雰囲気がよく出ているし、その本物感をスクリーン上でしっかり表現できている。

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 未来を予言をする魔女。その甘い言葉におののきながら、自分の中の欲望に目覚める。野望はふくらみ、コントロールできなくなって錯乱に至る。もう元へは戻れない。それが破滅への道だとわかっていても、行きつくところまで行くしかない人間の悲劇。
 魔女にそそのかされて、道を誤る。その魔女は、人間誰もの心の中に潜んでいるのかもしれない。そう考えれば、小さなきっかけからどんどん深みにはまり、破滅へと突き進む人の話が現代のTVニュースで流れるのも当然でしょうか、シェイクスピア殿。
 

 

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2016年5月22日 (日)

横尾忠則のPOPとWAR

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 横尾忠則現代美術館でいま開催中の「私のポップと戦争」。とても懐かしく若き日を思い出しながら鑑賞しました。POPのほうは状況劇場のポスターや平凡パンチのカラーグラビアを飾った、懐かしい名作がずらり。1960年代後半から70年代半ばまで、グラフィックデザイナーとイラストレーターとして、またその時代を象徴する文化のトップランナーとして駆け抜けていったころの作品です。WARはもっと長い期間、画家宣言をした後の2000年代までの作品を含み、油彩やアクリルのタブローが中心。戦争がテーマというよりは自らの魂の奥底への遍歴を絵にした感じ。ただそこにはB29や原爆のキノコ雲も現れるので、横尾さんのWARには違いない。

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 別室に展示されていた「性風景Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ、Ⅴ」と題されたシルクスクリーンの5点シリーズは、とても思い出深い。もう40年以上前の話だが、横尾さんに仕事を頼んだことがある。あるTV番組のタイトルデザインやポスターの制作だ。そのときテレビ局のスタジオに持ち込んだのが、これらの作品だったのだ。これは富士山や新幹線を背景にセックスしている、いわゆるアブナ絵だから、プロデューサーやディレクターは慌てました。でもそのまま放送で流すなんてことはするはずがない。黒バックに手書きの筆文字を抜いて、そこに色鮮やかなこれらの作品をパンしながら撮影した素材を入れ込む、というアイデア。何が写ってるかわからない、色だけのための素材。横尾さんはヴィデオの編集機を使うのが初めてだったらしく、おもしろがっていろいろ試しながら徹夜で制作を続けられたのが印象的でした。

Y+T MOCA
横尾忠則現代美術館
わたしのポップと戦争
2016年4月16日(土)~7月18日(月・祝)

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2016年5月19日 (木)

金沢にて、日本の色

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 さすが金沢、日本の伝統文化とそれを象徴する美しい色が街を彩っている。だから外国人観光客も多い。たとえば兼六園ではカキツバタがいま盛りを迎えている。尾形光琳の屏風で見るように、紫の花と緑の葉の組み合わせがハッとするほど鮮やかだ。

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   ヌメッとした独特の瓦屋根が美しい、江戸時代の遊郭の風情を残すひがし茶屋街。格子戸と石畳の道を、若者がひく観光人力車が行き来しているが、とてもよく似合っている。文政三年(1820年)に建てられ、その当時のまま残っている重要文化財の「志摩」が見学できる。ベンガラ色の壁、漆塗りの柱、七宝焼きのふすまの取っ手・・・金沢文化の粋が凝らされている。

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 金沢はまた金箔の街としても知られている。いまは日本のほとんどを生産しているそうだ。みやげものも工芸品やアクセサリーはもちろん、化粧品やエステ用品、お酒や焼き菓子など、あらゆるものに金箔が使われている。

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 有名なお店の中庭には金箔を張り詰めた蔵もありました。金色というのは屏風の下地でわかるように日本の色によくマッチする。光の当たり方で華やかにもシックにも見えて、まわりの色がよく映える。
 春から初夏にかけての金沢の色を紹介しましたが、これを光の弱い雪の季節に見るとまったく別の美しさをあらわします。奥が深い街です。

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2016年5月16日 (月)

街に根付いた21世紀美術館

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 開館してからもうすぐ12年。金沢21世紀美術館は、すっかり街になじんでいます。暮らしの中に溶け込んでいます。誰でもいつでも気軽に立ち寄ることができ、さまざまな出会いや体験の場となるような美術館。そんな妹島和世さんと西沢立衛さんが目指した『まちに開かれた公園のような美術館』は、10年をかけて市民のみなさんに愛され育てられてきたんだと思う。とても素晴らしい。

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 この美術館は円型のガラス壁で囲まれ、内と外の関係があいまいになっている。そして東西南北に出入り口があり、有料の展覧会スペース以外は自由に通り抜けができる。市民ギャラリーや情報ラウンジ、ミュージアムショップ、カフェなど、パブリックな空間がかなり多い。加賀友禅をモチーフにしたマイケル・リンの壁画作品の前に並べられたロッキングチェアには、仕事中にちょっこし休憩しているサラリーマンや歩き疲れた観光客がリラックスしている。いい風景じゃないですか。

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 ついこの前にフィレンツェのシニョーリア広場で見たヤン・ファーブル(先日のブログでジャン・ファーブルと書きましたが21世紀美術館の資料に発音を合わせます)の作品「雲を測る男」もありました。エルリッヒの「スイミング・プール」やジェームズ・タレル、アニッシュ・カプーアの作品など、世界の現在(いま)を体感できるアートも通りすがりで観ることができる。なんて幸せなんだろう。見方を変えれば、みんなに愛され、なんて幸せな美術館なんだろう、と思います。

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2016年5月13日 (金)

ニセアカシア、「にせ」は可哀そう

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 いま六甲山系の南斜面にいっぱい咲いているニセアカシア。和名はハリエンジュ。きれいな白い花の房が垂れ下がるように咲き、あたりにいい香りを放つ立派な木なのに、「ニセ」って失礼だと思いませんか? なぜ、こんな名前がついたのか、『ウィキペディア』や『花しらべ』というサイトで調べてみました。
 ニセアカシアは北アメリカ原産で、マメ科ハリエンジュ属の落葉高木。明治時代に輸入されたニセアカシアを当時アカシアと称していたことから、いまも混同されているようだ。間違っていたのを訂正せずに、そのまま頭にニセを冠してお茶を濁した感じ。

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 『アカシアはちみつ』という名で販売されているおいしい蜂蜜は、ニセアカシアの蜜だそうです。「ニセ」が悪いわけでは決してないのだが、なんとなく『はちみつ』に「ニセ」はつけにくいのでしょう。
 よくわからないけれど、アカシアはマメ科アカシア属の総称で、アカシアという名の特定の植物があるわけではない、ということ。アカシア属は熱帯から温帯にかけて生える約600種があり、特にオーストラリア大陸とアフリカ大陸に多数が分布するという。Images1_3 日本では春の初めに黄色い花をたわわにつけるミモザ(と呼ばれるフサアカシア)が、アカシアと呼ぶべき木の仲間のようだ。こちらはオーストラリア原産で常緑高木。
 これで一件落着か、と思っていたらまだ続きがありました。みんながミモザと呼んでいるフサアカシアは、ミモザではないと書いてある。本来ミモザとは、オジギソウを指すという。おいおいおい、アカシア!どうなってるんだ? しかもフサアカシアはフランスのミモザ祭りに使われる、とも。もういいよ、名前なんて。美しければそれで十分だ。

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2016年5月10日 (火)

田中一光のポスター展

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 社会人になって広告の仕事を始めたころ、すでに田中一光さんはグラフィックデザイン界の大スターだった。いま国立国際美術館で開催中の田中一光ポスター展で略歴を読むと、当時まだ40代前半だったのだ。へぇ、すっかり大御所っぽい感じだったので、もっとお歳だと思っていた。ま、こちらも何も知らないはなたれ小僧でしたが。

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 産経観世能、札幌オリンピック、科学万博つくば'85、モリサワ、イッセイミヤケなど、いろいろ素晴らしい仕事をされているが、西武セゾングループの作品が特に印象深い。クリエイティブディレクターとして多くの才能を起用して、共同作業をしながら自らの幅も広げていった。たしか無印良品の立ち上げでは、ロゴや包装資材のデザインだけにとどまらず、ブランドコンセプトや商品開発まで深くかかわったと思う。

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 50年にわたる仕事の跡をポスターで振り返る今回の展覧会。おもにデザイナーとしての側面に光を当てられている。もっと広くプロデューサー的な役割にまで展示内容を広げれば、もっと面白いと思うけれど、偉大すぎて収拾がつかなくなるかもしれない。まぁ一言で表すと「昭和の尾形光琳」、と思いますがいかがでしょうか。

グラフィックデザインの華
田中一光ポスター展
2016年4月5日(火)~6月19日(日)

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2016年5月 7日 (土)

森村泰昌に出会うとき

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 ダ・ヴィンチ、レンブラント、デューラー、カラヴァッジョ、ゴッホ、フリーダ・カーロ、アンディ・ウォーホール・・・有名な画家の自画像、に扮してセルフポートレートを撮る森村泰昌。
 個人のアイデンティティー、本当の自分、などいろんな言い方があるが、そもそもそんなものがあるのだろうか? 自我の確立、なんて西洋近代思想が抱いた幻想かもしれないじゃないですか。
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 だれもが時代や属する社会の中で、自分がなりたい、あるいはまわりから期待される、『自分』を演じているに過ぎないのかも。無意識のうちに。たとえば母、たとえばアーティスト、たとえば市長、たとえば強い男、たとえば話の分かる人、たとえば悪人。みんなみんなそうかもしれないけど、そうじゃない部分も持っているのだし。簡単に決めつけられない。決めつけられたら困るのだ。

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 時代も超え、男女の差も超え、年齢も超え、『誰か』に扮する森村泰昌。それも意識的にデフォルメしていろんな『自分』を見せる。自身を消すことによって融通無碍な大きな器こそ人間の本質だとでも言うように。多重人格であるハズの過去の巨匠が自画像に何を込めたのか、何を演じていたのか。滑稽なような、怖いような、人間の奥深さを見た思いです。

森村泰昌 自画像の美術史
「私」と「わたし」が出会うとき
国立国際美術館
2016年4月5日(火)~6月19日(日)

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2016年5月 4日 (水)

歩くイタリア

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 一昨年の秋に比べて、観光地ですごく目についたのがトレッキング姿の人の数。チンクエテッレでもマテーラでも、リュックを背負って歩くカップルやグループがとても多い。気候がいい時季ということもあるだろう。ドイツ人やフランス人、アメリカ人など外国からの旅行者も多いはずだ。しかし、フィレンツェの街中でもジョギングする人がずいぶん増えていることを考えると、イタリアでもあきらかに健康志向が強まっている。

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 もともと食べ物に関しては、有機栽培や地元産にこだわるビオの先進地だ。なにせスローフード運動のおひざ元ですから。でも体を動かすことに関してはアメリカ人ほど積極的とは思わなかった。ただし自転車については40年前からすごかったですが。
 チンクエテッレでは、海沿いにも山の稜線にも何本ものトレッキングルートが整備され、それぞれの間の距離と所要時間を描いた説明版も各所に設置されている。短いところは30分、長いところは11時間半。それらを自由に組み合わせて好きなところを歩けばいい。どこを歩いても世界遺産の絶景だ。

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 マテーラなら洞窟住居の旧市街から、谷を隔てた向かいの広大な台地一帯がトレッキングの好適地だ。こちらも同じく昔海底だったところが隆起してしてできた石灰岩の独特な地形。こんなところを歩けば、さぞ気持ちいいだろう。
 奥の方にはキャンピングカーも停まっている。ヨーロッパの人たちはこんな自由な旅が好きなんだろうな。うらやましい限りです。

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 イタリアと言えば登山用のブーツの老舗メーカーが多い国。あのビブラムソールもイタリア製です。北部のアルプスだけじゃなく長靴型の半島を背骨のように貫くアペニン山脈も、けっこう標高が高い。イタリアは山岳国なのです。トスカーナ州にも高い山やスキー場がある。次回はトレッキングを楽しむ用意をしてきて、1週間ほどイタリアの自然を感じるのもいいかなぁ、と思いました。

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2016年5月 1日 (日)

トスカーナの風を受けて

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 フィレンツェの街角アートが変わりました。地球を食べるスプーンから、白と赤の二重になった大きな風ぐるまへ。ギャラリー ホテル アートの壁面に5つ。薄い金属かプラスチックで作っていると思う。この日は回っていませんでしたが、すこし強めの風が吹けば回転するのでしょう。花の都フィレンツェに敬意を表した花かもしれませんね。

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 道の向かいには、真っ赤な大きな文字"WOW"が。ワォ!もしかしてこれが作品名? 作品の解説ボードが設置されていないので、作家名もわかりません。この空間を使ったいままでのインスタレーションに比べると、ちょっと平凡な気がします。でも建物から外へ出た街角アート、これからもずーっと続けてほしいものです。

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