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2016年3月

2016年3月29日 (火)

アートたけし or アートたのし

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 ビートたけしのアートが100点!というサブタイトルがついた展覧会の会場を巡っていると、作者本人が本当に楽しんでいるのがよく伝わってくる。阪急うめだギャラリーで開催されていた、アートたけし展。会場を出てもう一度入り口を見ると、「アートたけし展」の文字が「アートたのし展」に見えてきた。

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 主に色鮮やかなアクリル絵の具で描いているが、アクリルのあとパステルで上塗りしたり、木版画にしたり、立体化したり、手法も自在に楽しんでいる。版画は摺った後わざと水で濡らして(?)紙をベロベロにしていたり、彩度を抑えたインキを使ったりして、それもとても味がある。

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 もちろん描くテーマも、けったいな人々から動物やクルマまで自由自在。気分のおもむくまま。この天真爛漫さがいいのだろう。映画など発表を前提とする作品にくらべて、絵画はもっと私的な営みなのでしょう。誰かに見せるためではなく、自分自身の純粋な楽しみとして描く。

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 だから私たち観客は、たけしさんの心のひだをこっそりのぞき見をしている感じで、作品を眺める。周りにたくさん人がいても、たった一人で自分の時間に浸ることができるのだ。またどこかで見るチャンスがあれば、ぜひもう一度この世界に浸ってみたいものです。

ART TAKESHI
アートたけし展

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2016年3月26日 (土)

ビート↔北野↔アート たけし

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 ビートたけし、北野武、そしてアートたけし。一つの器には収まりきらず、漫才師、映画監督、画家とさまざまに放射される才能。たけしさんがずっと描いてきた絵の展覧会が、大阪・うめだ阪急の9階で開催されています。

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 「うまく描こうなんて全然思ってない。小学生には勝てっこないんだもの」と言う。そして、「自分が好きでやってるだけなんだから、展覧会で見られるなんてやたら恥ずかしい」、とおしゃるが、なかなかいい絵だと思います。おかしい!

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 遊び心がある、というほめ方があるが、彼の絵は100% 遊んでる。絵を描くことが遊び、癒し、発散、排せつ、ストレス解消、頭の体操。絵を描いてる時はきっと無心だろうな、と思う。そしてその時間はサイコーに楽しいのでしょう。観る側にもそんな楽しい気分がすごく伝わってきます。


アートたけし展
2016年3月16日(水)~28日(月)
阪急うめだ本店9階

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2016年3月23日 (水)

ユキヤナギとシダレヤナギ

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 春の日差しの中、真っ白く滝が流れ落ちるように咲くユキヤナギ。近所の公園や住宅の庭を明るく照らしています。しかし「雪のように白いヤナギ」という名前にもかかわらず、じつはヤナギ科の木ではない。バラ科なのです。小さな白い花はキレイな五弁で、サクラやウメによく似たいかにもバラ科、という姿をしている。

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 ユキヤナギのネーミングの元となった、一般的にヤナギと呼んでいる木はシダレヤナギ。このシダレヤナギも今ちょうど新しい葉をつけはじめたところだ。あの幽霊の手のような独特なカタチでだけれど、色は浅い黄緑。いや紅葉の時期のイエローに近い。これから徐々に濃いグリーンに変わっていくのでしょうが、こんな色のヤナギの葉を見たのは初めてだ。毎年春先はこのような色なのだろうが、注目したことがなかった。

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 シダレヤナギはもちろんヤナギ科です。先日モネ展でヤナギを描いた連作を観たが、まさにそのヤナギだ。モネがジヴェルニーの庭の日本風の太鼓橋のたもとに植えたヤナギ。ほとんど抽象画に近づいていた晩年の作品、でもこの木は一目でそれとわかる。うっかり見過ごしていたけれど、見れば見るほど個性的だ。ほかの植物にその名を使われるほどの特徴を備えたヤナギ。ユキヤナギのおかげで新しい発見でした。

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2016年3月19日 (土)

素晴らしきイタリア喜劇

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 スカッとして、ホロっとして、温かい気持ちになって。こんな後味のいいコメディは、ほんとうに久しぶりでした。チョー男性社会で奮闘する女性建築家を描いたイタリアのコメディ映画、『これが私の人生設計』。すごいハンサムで逞しくしかも優しい男はゲイ。顔を合わせると「恋人はできたか?」「結婚はまだか?」とうるさい母と伯母。クセの強い人たちに囲まれて、ストレスいっぱいの破滅的な日々を送りながら、くじけず前向きに生きるヒロインに、思わず拍手を送りました。

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 職場での女性差別、性的マイノリティに対する無理解・・・日本もかなり遅れているが、イタリアもきわめて保守的だ。まぁコメディなのでよけいデフォルメされているのだろうけど、「わかる、わかる!」と思い当たるふしは多々ある。イタリア男が女性に優しいのは、全然別の意味でだ。昔ながらの役割をはたしている限りはいいけれど、いとたびはみ出ると容赦しないぞ!という社会。昔のど田舎ではなく、21世紀の大都会ローマの現実だ。

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 喜劇だから大笑いのシーが満載だ。でも笑うだけではなく、鋭い問題提起がグサッと突き刺さる。原題は『SCUSATE SE ESISTO! 』。昨年のイタリア映画祭では『生きていてすみません』という直訳のタイトルで上映されたそうだ、ちょっとむずかしいけど。この映画、きっと世界中で受けているでしょうね、特に働く女性には。ポスターは何を伝えようとしているのか、いまいちピンときませんが、コメディの感じは出ています。そして日本や日本人が思わぬところで出てくるのも笑えますよ。

これが私の人生設計
 

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2016年3月16日 (水)

富岡鉄斎の画、書、文

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 近代文人画の巨匠、富岡鉄斎(1836~1924)の回顧展が兵庫県立美術館で開催されています。名前は知っていましたが、あまり興味もなくここまで来ました。でも地元で大規模な展覧会が開かれるということで、足を運んでみる。

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 資料によると鉄斎は京都に生まれ、幼いころから国学、儒学、仏教などの学問を広く修め、書画にも親しんだそうだ。終生、学者を以て任じ、文人画家としての理想を追求し続けた。つまり画業に専念するプロの画家ではなく、トータルな文化人としての表現の一手段として描いた。

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 でもその作品は趣味や片手間でできるようなレベルではない。池大雅や与謝蕪村などとは絵の凄さが違うのだ。代表作でもある富士山を描いた屏風は、右に全景、左は山頂の火口部です。おもしろい発想と迫力ある筆の力。ちょっと荒唐無稽な例えのように思われるかもしれないが、セザンヌが描いた力強い松の連作を思い出した。

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 いずれにしても鉄斎という人は多彩な才能に恵まれたクリエイターなのでしょう。現代なら天才的なデザイナーや漫画家になっていたかもしれない。そんな気にさせる才人だ。いやいや、アートより宇宙物理学や遺伝子工学に興味を持っているかもしれない。ついそんな想像をしてしまう。


生誕180年記念
富岡鉄斎 近代への架け橋 展
3月12日(土)~5月8日(日)

兵庫県立美術館

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2016年3月13日 (日)

グアテマラ? 火の山のマリア

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 ん、グアテマラ映画? どこか中南米の国だったかな。と地図を見たら、メキシコの南。国民の半数以上が先住民、古代マヤ文明を築いた人々の末裔だそうだ。しかし彼らの多くはスペイン語の読み書きができない。もちろん話す言葉はそれぞれの民族の固有の言語。そんな土地にも近代化、グローバリズムの波は暮らしの中に徐々に入ってくる。昔ながらの習慣や伝統を守り、神へ感謝しながら生きる家族が、差別を受けたり無知ゆえに騙されたりしながらも強く生きる姿を、ドキュメンタリーのような臨場感あふれる映像で描いた傑作映画だ。

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 この『火の山のマリア』は2015年ベルリン国際映画賞で銀熊賞を受賞。自分の幸せを自分で見つけ出そうとする少女と、どこまでもそれを守る母。教育を受けたこともなく経済的にも厳しい境遇の中、懸命に生きる母と娘の物語は、人間の尊厳と生命の力強さを私たちに伝えてくれる。太古の昔からはるかな未来まで、生の絆は続いていくだろうと希望が持てた。それは快適で便利な現代生活よりも、もっともっと根源的な地球の生命としての息吹が聞こえるような、深い感動をおぼえる。
 西洋近代主義と土地固有の文化。キリスト教と土俗信仰。グアテマラの高地、火山のふもとの村を舞台にしながら、21世紀の世界が抱える普遍的なテーマを描いている。いい映画を見たな、と思いました。

火の山のマリア

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2016年3月10日 (木)

ロイヤルオペラハウスの椿姫

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 ヴェルディ作曲「椿姫」の原題「La Traviata」は、「道を踏み外した女」という意味だそうだ。その椿姫、英国ロイヤルオペラハウスが2月4日にコヴェントガーデンで公演した舞台のライブビューイング映像を映画館で観ました。これがサイコーに感動的。幕間に指揮者イヴ・アベルや演出家ダニエル・ドナーの解説が入り、とても分かりやすい仕上がりになっていた。時間は休憩を入れて3時間40分。

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 ストーリーもよく知っているし、聞けばすぐにわかるアリアもたくさんある、あまりにも有名なオペラ。ところが初めて出会ったお話しのように、とってもとっても感動してしまたのです。もともと名作だし、そのうえ演出が素晴らしい。出演者のヴェネラ・ギマディエワ、セミール・ピルギュ、ルカ・サルシの歌唱力と演技力。美術とコスチュームと照明。どれも最高でした。

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 1985年にフランコ・ゼフィレッリ監督が作ったメトロポリタン歌劇場の「椿姫」をレーザーディスクで持っていて何回も観た。これはレヴァイン指揮でアルフレードをプラシド・ドミンゴが演じていた。これもよかったけれど、映画版なので舞台の臨場感は今回ほど感じなかったように思う。だから感情移入もあまりなかったのかもしれない。

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 それともうひとつ決定的に違うのは、観る私自身が年を取ったということ。これは悪い意味じゃありません。いろいろ人生経験を積むと、個人の幸せと社会との板挟みとか、愛のための犠牲とか、簡単に割り切ることができない運命を人は生きるものだと気付く。そう考えると年を取るのも悪くない。アルフレードの父親の心情もわかるのだから。

英国ロイヤル・オペラ・ハウス
シネマシーズン2015/16
椿姫

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2016年3月 7日 (月)

日本好きのモネを愛する日本人

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 岡崎の京都市美術館で開催中のモネ展は、パリのマルモッタン美術館のコレクションを紹介する展覧会です。ここでの目玉は「印象、日の出」。印象派のネーミングの基となったことで有名な50×65cmの油彩。作品そのものはターナーが描いた「ウォータールー橋上流のテムズ川」や「湖に沈む夕陽」ほど完成度も高くないし革新性でも劣るが、美術史上における有名度はピカイチだ。これを見たことがない人もみんなこの絵のことを知っている。

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 モネは「ルーアン大聖堂」や「積みわら」など気に入ったモチーフを連作して描くことで、光の変化や季節時間の空気感を強調した。なかでも極めつけはジヴェルニーの庭の「睡蓮」を描いたシリーズ。直島をはじめ世界中の美術館でコレクションされているので、見かけることが多い。この展覧会でも油彩だがデッサンのような実験的(?)な作品がたくさん展示されていて興味深い。これらがあってはじめてオランジュリーの大作ができたのでしょう。

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 浮世絵などを通じて日本びいきだったモネが、「日本の橋」というタイトルで描いた6点の連作がとてもいい。庭の池にかけた日本風の太鼓橋。ほとんど抽象まで行ってしまっている晩年のモネだが、決して抽象ではなくあくまで具象なのだとよくわかる。印象派好きの日本人が、その中でも特に愛するモネ。やはりお互いどこかひかれあうところがあるのだと思います。 ※「印象、日の出」は3月21日(月・祝)までの期間限定展示なので、ぜひそれまでに。

マルモッタン・モネ美術館 所蔵
モネ展 

「印象、日の出」から「睡蓮」まで
2016年3月1日(火)~5月8日(日)
京都市美術館

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2016年3月 4日 (金)

ウェルヴェの現代性

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 オランダのアーティスト、グイド・ヴァン・デル・ウェルヴェの展覧会。前回お伝えように二条城のそばの@KCUAで開催されています。ポスターで取り上げられている作品は、第8番「心配しなくても大丈夫」。英語のタイトルは「Everything is going to be alright」。氷におおわれた冬の海をウェルヴェが一人歩いている。その真後ろから砕氷船が氷を割りながらゆっくり迫ってくる、ただそれだけの10分あまりのシンプルな作品。状況はチョー特異だが、きわめて日常的な雰囲気で歩く。このギャップは結構おかしい。日常に潜む恐怖、あるいは、楽観主義の勝利。いやいや、何事にもつい意味を考えてしまう人間の習性を笑っているのかもしれない。

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 第9番「世界と一緒に回らなかった日」(The day I didn't turn with the world)という作品もおもしろい。作家が北極点に立ち、24時間かけて地球の自転とは逆方向に一回転する様子を定点カメラで記録した映像作品。

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 この説明を読んだだけで、ナンセンスさがわかるでしょ。極寒のなかでよくやるよ!と驚きあきれながらも画面に引き込まれる。もちろん何もドラマは起こらない。白夜だから24時間太陽が沈まない。光の方向や雲の様子は変わるが、北極点に立った彼は向きが少しずつ変わるだけ。

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 いろいろな作品を観ていると、ウェルヴェの行為は禅の修行に似ていると思う。この展覧会の日本語タイトル『無為の境地』を考えた人も、きっと同じ感想を持ったのでしょう。彼は自分の肉体を使って修業し、何の感情も意味も思想も加えずただ記録する。それが現代アートの最先端かもしれない。
 写真や映像が発明されてからの永遠のテーマ、記録性と表現性。この展覧会で見るべきは、記録性を極限まで突き詰めると新しい表現法が生まれる、という発見。写真や映像に、新たな可能性を見出したアーティストだと言えるでしょう。

グイド・ヴァン・デル・ウェルヴェ個展
無為の境地 killing time
京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA
2016年2月20日(土)~3月21日(月・祝)

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2016年3月 1日 (火)

グイド・ヴァン・デル・ウェルヴェ個展

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 初めて名前を聞くオランダ人アーティスト、グイド・ヴァン・デル・ウェルヴェの個展『無為の境地 killing time』が京都で開催されているので観に行った。場所は二条城そばの京都市立芸術大学ギャラリー@KCUAアクア。
 彼は自ら行ったパフォーマンスを記録した映像を作品化している。そこに使用する音楽も自ら作曲。そんなウェルヴェの過去10年間の全7作品を展示する展覧会です。そのうちの一つを紹介します。
 ショパンは死んでパリに埋葬された。しかし遺言により心臓だけは故郷のポーランドの教会に収められている。彼の作品第14番「郷愁」は、ワルシャワの聖十字架教会からパリのペール・ラシューズ墓地までの1703.85kmをトライアスロン(水泳、自転車、ラン)で走破し、身体と分かたれた心臓との距離を身をもって体現する。20歳で故郷を離れ38歳で亡くなるまで、一度もポーランドに帰らなかったショパン。

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 ウェルヴェはヨーロッパの田園風景の中を黒いスポーツウェアで淡々と泳ぎ走ることで、ショパンの悲哀を表現する。この話の流れの中にアレクサンドロス大王のエピソードが挿入される。アレクサンドロスもまた若くして故郷マケドニアを出て征服の旅をつづけ、ついに帰郷することなくバビロンで病死する。
 ずーっとバックに流れる(時には演奏するオーケストラと合唱団も映像に現れる)レクイエムも彼が作曲した作品。これが素晴らしい出来栄えで、プロの現代音楽家真っ青だ。幼少期からクラシック音楽の教育を受けてきた彼ならでは。美しい詩的な映像と荘重な音楽で、そのしつらえは感動的なんだけれど、つづられるストーリーはただ泳ぐ、ただ走る、それだけ。その行為に意味を見出そうとしないことだ。おそろしく刺激的な54分の映像作品でした。

グイド・ヴァン・デル・ウェルヴェ個展
無為の境地 killing time
京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA
2016年2月20日(土)~3月21日(月・祝)

 

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