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2016年2月10日 (水)

人間、個人、自由、表現

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 神が主役の中世から、人間が中心の近代へ。ルネサンスが果たした役割はとても大きい。そこから知性・人権・自由の近代思想が生まれた。(ただし西洋中心の考え方)。その人間主義も500年も経つと金属疲労を起こしているのかもしれない。
 そんな状況からアートの世界では個人を消し、匿名性が前面に出す方法が出てきた。北野謙の作品は、「ラマダン明けの礼拝に来たイスラム教徒38人を重ねた肖像(女)」や「天安門広場を警備する陸軍兵士24人を重ねた肖像」など、無個性化していった先に現れるアイデンティティを表現した作品がおもしろい。それぞれの個の人間性は消えてしまうのだが、その属性あるいは彼らが所属する社会や組織の本質がかえって強く浮き上がってくる。ドイツ現代写真の巨匠・ベッヒャー夫妻がガスタンクや給水塔の写真を何枚も重ねて近代工業主義の本質をあぶりだしたように、宗教や思想や民族の歴史を表面化させることに成功している。

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 オノデラユキの「古着のポートレート」シリーズ。ここでは、もはや美術の対象である人間すら消えてしまっている。しかしその古着が示す存在感は、なまじ人間が登場するよりはるかに雄弁に人間を表現している。どんな人が着ていたのか、この服を着てどんな人生を送ったのか。長く着たものには魂が宿る、というが、まさに肌のぬくもりまで感じる作品です。人間の不在によって、人間を表現する。かなり高度な手法だと思います。
 これらの現代アート作品は、安易な感情移入を拒否しています。人間という物体、生命のイメージを、そこに価値観を持ち込まず、ただありのままに提示することによって、観るものに判断をゆだねる。それが現代の表現なのかもしれない。

エッケ・ホモ ECCE HOMO
現代の人間像を見よ
国立国際美術館
2016年1月16日(土)~3月21日(月・祝)

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