ミラノの太陽、シチリアの月
ミラノの太陽? ミラノって霧じゃなかったの。 シチリアの月? シチリアは太陽ギラギラだよね。そんな引っ掛かりを作るのもうまい、内田洋子さんの著書のタイトル『ミラノの太陽、シチリアの月』(小学館文庫)。もちろん読めばすごく納得のお話が出てまいります。以前ご紹介した『ジーノの家』(文春文庫)ですっかりはまってしまった奇妙で不思議な内田ワールド。現地のイタリア人が読んでも、「こんなイタリア人もいるんだ」、「こんな暮らしがイタリアにはあるんだ」と驚くようなヘンな人たちが繰り広げる、ちょっといい話。
異文化を書く意味は、知らない価値観や異なる習慣を紹介して、読者の世界を広げることにある。そのためには、読者の知らない世界を見聞することだ。昔マルコポーロがそうしたように。しかし交通網が発達し情報化が進んだ21世紀、よほどの辺境へいかない限り大きなカルチャーショックを受けるような事象には出会えない。イタリアだけじゃなくアメリカでもフランスでも事情は同じ。だからこそ、これほどディープに少数派コミュニティや裏社会に入り込んだ内田さんのノンフィクションは素晴らしいのだ。
『皿の中に、イタリア』(講談社)も含めて、内田さんのいろんな著書はそれぞれ10編ぐらいのお話がおさめられている。余分な説明的なところが一切なく、極めて簡潔に、必要十分な言葉だけでつづられた名文だ。それらの中には「あ、あの人だ」と気づく人たちが登場することがある。それはシチュエーションを変え、時間経過を変え、その人の別の側面を垣間見せる。それによって、また人間への理解が深まるのだ。
これら3冊の著書を読み終わって、こんなことを考えた。珍しい事象、というのはとんでもなく遠いところにしかありえない、という考えは間違いだと。私たちの身の回りには、いっぱい奇妙で不思議な出来事が起こっている。でも何でも分かったつもりになっているだけなのだ。もっと言えば、より深く知ろうという意欲が薄れている=社会の老化現象?とでも呼べそうな時代になってしまっている。丁寧に、真剣に、物事に興味を持って生きないとなぁ、と思うのですが、いかがでしょうか。見るモノ聞くモノすべてが初体験で珍しく面白かった、子供のころのように。
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