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2014年4月16日 (水)

吉野の桜と西行

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    吉野山 谷へたなびく白雲は
            峯の桜の散るにやあるらん
 目の前の美しい情景を写生した、たいへん素直な西行の歌。春爛漫のこの時期、下千本、中千本、上千本、奥千本と咲き昇ってゆく、「一目千本」の景色を見てまいりました。「一目万人」かとあきれるほどの観光客。かくいう私もその一人なのですが・・・。Photo_3
 西行は『新古今』で最多の作品を取り上げられた大歌人。しかし当時の歌詠みの常識だった貴族社会からは、若くしてドロップアウト。将来の栄達を約束された地位を捨てて出家し、全国を旅してまわった漂泊の人でもある。そういう生き方から後世の松尾芭蕉などにも多大な影響を与えたことで知られる。現代でも西行を主人公にした本が出版され続けていますね。日本人の心の中で、スーパーな存在の一人でしょう。ここ吉野山のいちばん奥に彼が庵を結んで住んだという跡『西行庵』があります。中には西行法師が木像で鎮座ましましておわす。では、吉野の桜を詠った作品をもう一首。
    吉野山 花の散りにし木の下に
            とめし心はわれを待つらむ

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 おいおい、ひとつ超有名なのを忘れていませんか、と叱られそうですね。はい、そうなんです。うんうん聞いたことがある、うろ覚えだけど知ってる知ってる、と皆さんがおっしゃるあまりにも有名な短歌。でもこれは桜を詠っていますが、場所は吉野ではありません。
    願わくは 花の下にて春死なむ
            そのきさらぎの望月のころ
 じつは辞世の歌だと勘違いしていましたが、死の10数年前の作だそうな。しかし、この歌の通り、二月十六日(満月の日)に桜の咲いているときに死んだため、当時の人々がえらく驚き感動と共感を呼んだという。日付は旧暦なので、今なら4月上旬にあたる。桜の時期に相違ございません。Photo_4
 藤原俊成は「かくよみたりしを、をかしく見給へしほどに、ついに如月十六日望月終り遂げけることは、いとあわれにありがたくおぼえて、物に書きつけ侍る。『願ひ置きし 花の下にて終りけり 蓮の上もたがはざるらむ』」
 西行が生きた平安末期は戦乱が続き、自然災害にも痛めつけられ無常観が蔓延していた時代。散る桜に人生の儚さと潔さ、そして官能と死の影を見る日本人の桜観はこのころから出来上がってきました。
 現代の大阪府・河南町の庵で文治6年(1,190年)72歳の終焉を迎えた西行。長生きだったのですね。彼の打ち立てた美意識が、現代の私たちにも色濃く影響を与えているのは、驚くべきこと。現地に残るお墓を抱く山は1,500本もの桜でおおわれているそうだ。来年はぜひ、南河内の弘川寺へ墓参りに行くとしましょう。

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