グルスキー、抽象か具象か
マクロとミクロのおもしろさ、カオスの中の統一感など、グルスキーの表現を語るのに象徴的なのが、アクションペインティングの巨匠、ジャックソン・ポロックの作品を撮影した作品です。美術館の壁面に掛けられたポロック円熟期の名作。何色もの絵の具を垂らしてその流れ落ちてできる造形に美を見出す独自のスタイル。彼はきっと共鳴するものがあったのでしょう。全体像の構想が確固としてありながら、細部の偶然性が生むおもしろさを取り込んで、作品のクオリティを高める手法も共通するものを感じます。しかしグルスキーの作品は抽象(画)ではありません。
なかでも2011年の作で「バンコク」と題されたシリーズは、見た目はまるで抽象絵画だ。今までのグルスキーとは、かなり違った表現に見える。彼は新しい方向に踏み出したのだろうか。でもよく見ると油が浮いている、ゴミも流れている。光も映り込んでいる。これはバンコクを流れる川の水面を撮影したものだ。だから、群衆をとらえたり99セントショップの売り場に美を発見した彼の方法論と、なんら変わらない。首尾一貫した制作姿勢。カンディンスキーやモンドリアン、ポロックやマーク・ロスコなどとは、たとえ結果が似ていてもアプローチがまったく違う。だから、どちらが良い悪いという問題ではない。それは絵画と写真というメディアの違いからくるものだから。
抽象と具象・・・。写真というメディアあるいはスタイルは、現実に存在するモノやコトを写し取る技術で成り立っているから、純粋な抽象はあり得ない。(※杉本博司さんの放電現象のシリーズは純粋抽象です) いくら抽象的に見えても、どちらに入るかといえば具象としか言いようがないでしょう。いや、抽象か具象化という分け方が、もはや意味をなさないのかもしれません。ここで重要なのは、これらの作品が理屈を離れて美しいということ。観る者の感情を揺さぶる表現、これこそが芸術の本質だと思う。目から入る美術、耳から入る音楽、言葉で構成される文学・・・これらに上下の隔てはない。どのジャンルの芸術であれ、私たち受け手がどんなに深く感動し、どれだけイメージを膨らませるかが作品の良し悪しを決めるのでしょう。
5回に分けてこのブログで紹介してきましたが、できるだけ多くの人に見ていただきたい本当に素晴らしい展覧会でした。
国立国際美術館
アンドレアス・グルスキー展
2014年2月1日(土)~5月11日(日)
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