自然には逆えない?今年の花見
神戸では久しぶりに大きな地震。季節は違えど18年前と同じような時刻だったので、その時の恐怖が生々しくよみがえりました。みなさまの被害ができるだけ軽微なことを祈ります。あらためて災害の備えの大切さを感じているところです。
ところで今年のお花見はいいかがでしたか? 平年より1週間から2週間も早く咲き、行く春を惜しむ間もなく春の嵐とともに散ってしまいました。お花見のタイミングがつかめないうちに終わってしまった感じで、どこか物足りない、釈然としないとお思いの方も多いのではないでしょうか。各地の「桜まつり」も肩透かしにあったようで、いまひとつ盛り上がりに欠けました。早くからスケジュールを立てて準備する行事は、急に予定を変えられないのでしょうがないですよね。 冬の寒さが厳しかったから開花は遅い、と思っていたら3月になって暖かい日が続いたので早まったということらしいのですが、変動が大きすぎる。自然相手のことは、身を任せるしかないのかもしれません。
お花見に乗り遅れた悔しさで、桜の後の「わびしさ」の写真を撮ってみました。川面を流れる花弁。公園の斜面に散った花弁。舗道の敷石と花弁との対比、というのも見つけました。
日本人の美意識としては、華やかな満開よりも「これから」と希望が膨らむ三分咲き、もしくは春風に吹かれてハラハラと散る風情を愛でる。満開の桜は、完璧すぎて不吉なものを感じるのでしょうか、西行の和歌を連想したりして。だから散った花弁を見て満開の記憶を反芻する、そして来年の花を想像する。直接的な華やかさより、間接的な麗しさ。
「年年歳歳花あい似たり」と唐の詩人は歌ったが、その年その年によって花はずいぶん違うと思います。そんなことを考えるのも齢のせい?
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