3.「マドゥライ」ー菜食
古くは、インダス文明を築いたと言われるドラヴィダ人。他民族の侵略によって南へ南へと追いやられた彼らの原始の文化が残るマドゥライという街。ドラヴィダ様式と呼ばれるスタイルで建てられたミーナークシー寺院を中心に広がるこの街は、お店や食堂など寺院やその周辺、街全体が一体となって伝統を現代に伝えている場所でもあります。
神戸に住むインド人(もちろん、その中にはドラヴィダ人もいます)からも食べることの大切さ、アーユルヴェーダの教えに基づいた食事のことを聞かされてはいた。しかし、マドゥライに滞在したことによってその価値をもっと深く知ることができた気がする。日本ではマッサージやエステのようなイメージが出来つつあるアーユルヴェーダだけれど、究極的には如何にして幸福になるか、その為の知恵。中でも、食べることは大きな位置を占めるもので、病気の予防のために編み出された調理法には感心させられるものが多くある。そしてその調理法が「菜食」と組み合わさって現在の南インド料理がある。
宗教上の禁忌による制限が、何かを解放することもあるのかもしれない。寺院で鮮やかな彫刻や壁画を観て、石の床を裸足(当地のお寺の多くは土足禁止)でペタペタと歩いた後の極上の食事を思い出す時、長い歴史を経ることで持ち得る、文化の強度のようなものについて考えることがあるのです。
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