ニーチェと、日本の美意識と
ギャラリー店主ひろパパが語る『Decay』。今回は作品タイトルから迫るその魅力です。
11月9日(日)まで開催中の『Decay -壊れてゆく- 』展。作家のモルテザ・アリアナさんは、すごいインテリです。なにしろ作品名はすべて哲学者ニーチェの著作からとった、と言うのですから。「詩的でとても美しいドイツ語です」とおっしゃるが、日本語に訳した私は「この人を見よ」「ツァラトゥストラはかく語りき」などの著作を出した、実存主義の先駆けで偉大な思想家、というぐらいしかニーチェについては知らない。ですから皆さまにはつたない日本語訳しかお読みいただけなくて、申し訳ございません。
たとえば「神はどこへ行ったのか(goetzen neue flucht)」。そのまま訳せば神の新逃避、といった感じでしょうか。これは、神はどこにでも存在するが、人間がそれに気付かなくなったというような意味合いだそうです。お地蔵さん(?)の横をさっさと通り過ぎる女性。ちょっとユーモラスでしょ。
「大いなる昼休み(der grosse mittag)」。 なんか緊張の解けたユルイ雰囲気が、観る者をホッとさせてくれます。ところで、どの作品も余白の取りかたが大胆だと思われませんか? モルテザさんは実は日本の伝統的な美意識をずいぶん研究されたそうです。ワビサビの心や、水墨画などで極限まで要素を省略して本質に迫る美学。ニーチェの哲学と共に、日本人が持つこのような美意識から、この独自の表現スタイルが生まれたという。そう言われれば、そんな風に見えてきますね。だから彼はスタイルの確立に大きな影響を与えてくれた、日本と日本人にとても感謝しています。
こんなのもあります。「私は薔薇を見なかった(Ich sah keine Rose)」。薔薇は単に花のバラではなくて、大切なもの、いとおしいもののシンボルなのでしょうけれど。みんなうつむいて、すこし意気消沈したような様子が切なくもカワイイ。
すこし辛口の「ゆるやかな退廃(entartung sanft)」。重苦しくなりがちなテーマですが、作品はポップで軽快。重いものを重く表現してしまうと、美しくも面白くもない。見るものに苦痛を与えるだけですからね。そんなツボも心得た素晴らしい作品を、ぜひご覧ください。
『Decay -壊れてゆく- 』展
~11月9日(日)まで
11時~19時(水曜定休)
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