2007年11月29日 (木)

ヴェネツィア・ビエンナーレ(6)

ジュゼッペ・ペノーネの彫刻作品(ヴェネツィア・ビエンナーレ、La Biennale di Venezia)  アルセナーレの長い建物を出て、いかにも昔の造船所らしい場所を抜け別棟へ。わずかに外を歩く間に傘は飛ばされビショ濡れになってしまいました。今回新たに設置されたイタリア館の別会場です。大木が2本、ごろんと横たわっているジュゼッペ・ペノーネの彫刻作品。よく見るとなにかの合成樹脂でホンモノそっくりに作ってある。隣の広い部屋に入ると、壁一面に樹皮(当然これも合成樹脂)を開いたものが何枚も貼り付けてあり、中央のスペースには樹皮をむいて製材した木が1本。壁一面に樹皮(ヴェネツィア・ビエンナーレ、La Biennale di Venezia) これだけの樹皮を集めるのに何本の樹が必要なのか。成長するまでどれほどの時間がかかったのか。生皮をはがれた森の悲鳴が聞こえてくるような空間です。文明社会は木をたくさん消費してきました。そして破壊のスピードは、森の自然な再生力をはるかに超えています。いま私たちに何が出来るのでしょう。それにしても寒い。見物客を見ると、すっかり冬のコスチュームに見えませんか?
 その奥に、常設のパヴィリオンを持たない中国が新たに場所を借りて、ビエンナーレに参加していました。カオ・フェイ、カン・シュアン、シェン・ユアン、イン・シュツェン、4人の作家の共作です。中国の4人の作家の共作(ヴェネツィア・ビエンナーレ、La Biennale di Venezia) 鉄の塊のような機械類がまだ残る工場の天井から、カラフルな紡錘形(?)のオブジェがいっぱい吊り下げてある。中世の騎士が馬上試合で使う槍のようにも見えましたが、きっと関係ないのでしょう。無骨な場所と作品とのギャップが面白い展示でした。
 これで駆け足でまわったビエンナーレの見物記はおしまい。私たちのアンテナに引っかかった作品のいくつかを簡単にご紹介してきましたが、ほかにもいい作品はいっぱいありました。雨に煙るサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会 2日間の見物では、メインの2会場だけでも大変で、島のあちこちにある他の展示を見てまわるには1週間は必要でしょう。それでもこんなに充実したアート三昧の時間を過ごしたのは久しぶりで、大満足!! 
 一番の収穫は、ジャンルやスタイルなどにこだわらず、新しい美しさや面白さを自分自身で発見するのがアートの喜びなんだ、と再確認できたこと。新しい美を発見すると、世界が違って見えてくる。暮らしが楽しくなる。大切なのは、それを見つける眼や意識をいつも持つことでしょうね。住み慣れた街やいつもの部屋の中にも、きっと美はあるはず。あれ、横丁のご隠居の説教口調になってしまった。(反省)   
 帰りのヴァポレットから見た雨に煙るサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会の鐘楼。見慣れた観光写真とは違ってしっかりアートしているように見えませんか?(じつはてっぺんにいるのは天使です)。

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2007年11月27日 (火)

ヴェネツィア・ビエンナーレ(5)

エル・アナツイの作品(ヴェネツィア・ビエンナーレ、La Biennale di Venezia)  アルセナーレの続きです。今回のヴェネツィアで一番驚かされたのが、ガーナ生まれ、ナイジェリアで活動するエル・アナツイの巨大なタペストリーのような2作品。だだっ広い部屋の端と端に展示されていました。ワインなどのボトルネックに巻いてあるアルミフォイルを無数に集めて構成しています。けいママ、口をあんぐり。そして「これエエわあ」。ルミフォイルを無数に集めて・・・(ヴェネツィア・ビエンナーレ、La Biennale di Venezia) その底知れないパワーと美しさで、断然他を圧倒していました。 消費文明への批判、という意味合いもあるのでしょうが、そんな理屈はもうどうでもよく、子供の頃に戻ったような気分で何も考えず、作品のみに集中できてシアワセでした。 「オモロイものはオモロイ、キレイなものはキレイ。それで十分やないか」。ただただ恐れ入りましたと頭を下げ、離れたり近寄ったり、いろんな角度から楽しませてもらいました。すなおに感動し、思わず作品に向かって「ありがとう」と言いました。(グラツィエのほうが良かったかも)
ドミトリー・グトフの作品(ヴェネツィア・ビエンナーレ、La Biennale di Venezia)  少しテンションを下げて次へいかなきゃ。というわけでロシアの作家ドミトリー・グトフの作品。これはロシア語が分からないため、まったく理解できません。じゃあ、なぜ取り上げるんだとお叱りを受けそうですが、その色に惹かれました。 マットの深い赤に蛍光っぽいフジ色とか、色の組み合わせがとても美しく、センスがある。またフライヤー作りの参考にさせてもらおう、などと少々動機は不純ですが、新しい色調の発見もアートの楽しみのひとつです。ギレルモ・クリチャの作品(ヴェネツィア・ビエンナーレ、La Biennale di Venezia)
 もう一人ご紹介しておきましょう。ブエノス・アイレスで活動しているギレルモ・クリチャという作家です。直径1メートルぐらいの円盤にペインティングした30点あまりを展示。円形の作品がリズミカルに並ぶ様は、うっとりするような眼の快感です。1点1点がそれぞれ素晴らしい、そのうえ展示会場全体としておもしろい。広いスペースならではの魅力ですが、PAXREXのような小さなギャラリーではとても扱えない。また家庭では飾れない。現代アートの課題のひとつでしょう。
ダーツの的が壁面いっぱいに(ヴェネツィア・ビエンナーレ、La Biennale di Venezia)  そういえばジャルディーニの北欧館には、同じ大きさのダーツの的が壁面いっぱいに並んでいるだけ、という作品もありました。目がグルグル、頭クラクラのおもしろさ。おまけに投げ矢がカゴに用意されていて、子供達は大喜び。われわれも投げてきました。こんな遊び心も、アートでは大切ですよね。見る側がそれぞれ勝手な思い入れで作品に入り込める、これもいい作品の条件ではないでしょうか。

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2007年11月25日 (日)

ヴェネツィア・ビエンナーレ(4)

 すこし間が空きましたが、ヴェネツィア・ビエンナーレヴェネツィア・ビエンナーレ(La Biennale di Venezia)見物記の続きです。 6月から半年あまりのビエンナーレも今月21日で閉幕。入れ替わりに「20人の天使」展が22日から神戸で開幕しています。(これ、PR) 

 ヴェネツィア2日目はマルテンポ(悪天候)のなか、アルセナーレへ。ここには世界中から選ばれた56人のアーティストの作品が、ずーっと続く広い会場に展示されています。みなさん真剣勝負の場なので、思いっきり力が入ってる。だから見る側も疲れます。ときどき肩をまわしたり、首をコキコキしたり・・・。
 最初にご紹介したいのはリヤス・コムの人物画。絶望の淵に沈んだような表情の連作にひかれて、思わず近寄っていました。リヤス・コムの人物画(ヴェネツィア・ビエンナーレ、La Biennale di Venezia) 一瞬パレスチナの少年兵かと思いましたが、ムンバイで活動する作家なので、多分インドの少女なのでしょう。でもこの深い悲しみは何なのだ。どうにもならない身分制度や貧困、また厳しい男女差別を、この少女は知ってしまったに違いない。それでも顔をもたげて、希望の光を求めて虚空を見ている。いま戦争がない地域でも、世界はこんなにも苦しんでいるのだ、と思い知らされました。
 もう1人、イランのY.Z.カミという作家の人物画。いまはNYで活動しているようですが、テヘラン出身というアイデンティティを感じずにはおれない表現です。Y.Z.カミの作品(ヴェネツィア・ビエンナーレ、La Biennale di Venezia) 抑えたやさしい色合いで描いた肖像画の大作。身近な人たちでしょうが、描かれた人はみんなうつむき加減です。そこには声高になにかを主張する姿はありません。じっと耐えているのか、沈思黙考しているのか、一見弱々しい人物像に見えますが、しかし岩のように動じない芯の強さがある。ガンジーの無抵抗主義を彷彿とさせます。
 いろんな表現手法があふれ百花繚乱に咲き誇っている会場で、地味ながらちょっと考えさせられる作品がありました。コロンビアのオスカー・ムニョスのモノクロ映像作品です。オスカー・ムニョスの映像作品ヴェネツィア・ビエンナーレ(La Biennale di Venezia) これは小ぶりなモニター3台(4台だったかな?)に、次々とさまざまな人物像があらわれては消える、というもの。あれ、リンカーンかな、キング牧師かな、と眺めていたのですが、よく見ると漆喰の壁に水で描いているようなのです。どんどん絵が完成に近づく。そして完成したと思ったら、だんだん消えて行く。ものの1分もたてば元の何もない壁に戻る。するとまた違う人物を描き始める。この「描く、消える」という行為を延々と映像化している。芸術の瞬間性と永遠性。絵画に限らずアート作品を残す、あるいは所有するという意味を改めて考えさせられました。
 

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2007年11月13日 (火)

ヴェネツィア・ビエンナーレ(3)

ブラジル人グループの作品(ヴェネツィア・ビエンナーレ、La Biennale di Venezia)  引き続きジャルディーニから。オープンカフェがあるちょっとした広場にも、こんなアートがありました。ゴミを出しているのではありません。ビールのケースのように見えるカラーブロックを積み上げた、ブラジル人グループの作品です。そういえば船着場から会場へ向かう途中、レストランの前庭にもアート作品がありましたっけ。ビエンナーレはメインの2会場以外に、ヴェネツィアのあちらこちらで展示が行われており、これらを見てまわろうと思えば1週間は必要でしょうね。マニュエル・ヴィラリーニョの「影の変容」(ヴェネツィア・ビエンナーレ、La Biennale di Venezia) 今回は残念ながらそんな時間はありませんでした。
 さて、スペイン館の写真作品からまいりましょう。マニュエル・ヴィラリーニョの「影の変容」(スペイン語なのでよくわかりません)というタイトル。アルミにゼラチンシルバープリントしたものです。いろいろな人の影が親密に、また儚げに寄り添ったり離れたり・・・。あやふやな輪郭の中に不思議な存在感を漂わせていました。横幅12mにもなる集合写真です。
イヴ・ネツハンマーの作品(ヴェネツィア・ビエンナーレ、La Biennale di Venezia)  スイス館はイヴ・ネツハンマーの力作。広い館内を大迫力でうずめた花をモチーフにした作品群です。喜びに溢れたパワフルな展示は、見るものにもたっぷりパワーを与えてくれました。ただ単にハデなだけではなく、繊細なディテールの表現も見ごたえがありましたよ。花がモチーフ(ヴェネツィア・ビエンナーレ、La Biennale di Venezia) 今回の紹介ではあえて取り上げていませんが、重い、暗い、政治的なテーマが多い中で、それらを突き抜けるアートの力を感じました。 かなり気に入ったので、写真をもう1枚入れておきましょう。読んでいただいている皆様にも生命のパワーが届きますように。
 あとはベルギー館、エリック・デュイカエーツのガラスの迷路。ところどころに映像モニターが掛けられているのですが、見えているのに近づけないもどかしさが、なんとも現代風。エリック・デュイカエーツのガラスの迷路(ヴェネツィア・ビエンナーレ、La Biennale di Venezia) 手を伸ばすと透明の壁に当たるのですから。ここではガラスが物質としての壁から、目に見えない時代や社会の壁に、意味が深まっています。
 またフランス館のソフィー・カレの映像作品が、高い評価を受けているようでしたが、われわれには言葉の壁でもうひとつ。またまた壁です。(もう、安部公房じゃないんだから) 各界の女性100人が同じ文面の手紙(失恋の手紙らしい)を読む姿を映像化したもの。たしかに映像の質が高く、それぞれの出演者もすごくいい。でもフランス語が分かれば何倍もおもしろいだろうと思うと、意図を十分味わえない私としては減点です。とまあ、そんなところです。
 

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2007年11月11日 (日)

ヴェネツィア・ビエンナーレ(2)

加藤泉さんのペインティング(ヴェネツィア・ビエンナーレ、La Biennale di Venezia)  まずはジャルディーニの各国パヴィリオンから。やはり、ひときわ広いイタリア館からでしょうね。ほかのパヴィリオンが自国のアーティスト作品を展示しているのとは違って、ここは世界中から作家をセレクトして展示しています。日本からは、ちょっぴり不気味な束芋さんのアニメーションも人気を集めていましたが、「生命の核=魂?」がそのまま表に現れたような加藤泉さんのペインティングが、とても良かった。あっ、断っておきますが、ビエンナーレ会場では基本的に写真撮影ができます。ジグマー・ポルケの作品(ヴェネツィア・ビエンナーレ、La Biennale di Venezia) フラッシュはダメですが。だから別に隠し撮りをしたわけではありません。
 ジグマー・ポルケやゲルハルト・リヒター、ロバート・ライマン、エルスワース・ケリーなどの大家は、さすがと思わされました。すでに知っているスタイルとはいえ、ずらっと現物を目の当たりにすることができるのは嬉しいことです。世界各地の現代美術館をいくつも回らなくても見られるので、トクした気分。来てよかったと思う。写真で見ても良さはなかなか伝わりませんが、比較的わかりやすいジグマー・ポルケを1点。
 エスピリト・サントの作品(ヴェネツィア・ビエンナーレ、La Biennale di Venezia) ちなみに当ブログ11月1日 「帰ってまいりました」に登場した女性ヌード天使は、ここに展示されているコンゴのチェリ・サムバの作品でした。
  ブラジルの作家、エスピリト・サントは真っ黒なアクリル(?)で壁面をレンガ壁のように整然と、床にはパリンと割れた板を数枚置いた作品を展示。秩序とその破壊を表しているのでしょうか? わたしたち見る側は、破壊からもまた新しい美を発見させられました。シャープで美しく、映り込みまで計算に入れた作品は見事です。
 イタリア館であと1人印象に残ったのは、パキスタン生まれ、インド・ムンバイで活動する画家、ナリニ・マラニの作品(ヴェネツィア・ビエンナーレ、La Biennale di Venezia) ナリニ・マラニです。名前からは女性か男性か分かりませんが、絵の印象から女性だと勝手に思い込みました。(間違ってたらごめんなさい) その彼女はやさしい色合いで生きることの素晴らしさをうたいあげています。もちろん、今を生きる彼女を取り巻く困難な問題は、きっといろいろあるのでしょう。しかし生命の絆をたいせつに、生きていこうというたくましい意志を感じました。
 次回は、もう1回ジャルディーニからです。

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2007年11月 6日 (火)

ヴェネツィア・ビエンナーレ(1)

ヴェネツィア・ビエンナーレ(La Biennale di Venezia)  今年で第52回、110年を超える歴史を持つヴェネツィアのビエンナーレ。駆け足で見てきました。まず1日目、ヴェネツィアでは珍しい緑豊かなジャルディーニ地区の各国パヴィリオン。2日目は長い大きな建物のアルセナーレ(旧造船所跡)。結果としてこの順番は正解でした。2日目はシロッコがきて大荒れの天気。朝から名物のアクアアルタ(高潮)で、こりゃダメかなと思ったくらい。傘もさせないほど風雨が強く、手はかじかみ唇青ざめ、とてもパヴィリオン巡りなどする気にならない寒い一日。ヴェネツィア・ビエンナーレ(La Biennale di Venezia) でもアルセナーレを2日目にして正解、といっても会場にいくつかあるオープンカフェはすべてクローズ、帰りのヴァポレットでパニーニをかじるはめになりました・・・とほほ。
 今回の総合ディレクターはロバート・ストー氏。彼が示したテーマタイトルは「Think with the Senses - Feel with the Mind. Art in the Present Tense」。ちょっといいでしょ。うまく訳せませんが「感覚で考えろ、理性で感じろ。
(これが現在のアートだよ)」てなことでしょうか。今回のテーマタイトル(ヴェネツィア・ビエンナーレ、La Biennale di Venezia) どなたか気の利いた訳を教えてください。
 もともと論理的思考が苦手なひろパパ&けいママは、ストー氏には申し訳ないけれど、感性のみを頼りにアートのお祭りを存分に楽しみました。アートって結局のところ、好きか嫌いか、に尽きますから。予備知識も仕入れず、作家名も作品名も見ず、行き当たりばったり、出会い頭の発見を求めて膨大な数を見てまわるのは、すごく刺激的で充実した時間。さすがにヴェネツィア、おもしろい作品にいくつか出会いましたよ。あとでグッタリ疲れたのはしようがないか。ヴェネツィア・ビエンナーレ(La Biennale di Venezia) このあと気に入った作品については、断続的に5〜6回書こうと思っています。なんとかお付き合いくださいませ。
  ここでひとつ言っておきたいことがあります。いまPAXREXで開催中の「藤井保の世界 Ⅱ」はとてもレベルが高い、ということ。ヴェネツィアを見て再認識しました。サッと通り過ぎた、メッセージがむき出しで表現力が未熟な作品、「こんなのアートじゃないよ」と失笑する作品が、いかに多かったか。頭でっかちで自分よがりの作家たちに、奥深い美意識・FUJII WORLDを見せてあげたいね、いやホント。

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