2016年7月28日 (木)

中山道、鳥居峠を歩く

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 藪原宿から奈良井宿へ、鳥居峠を越えて約2時間半のハイキング。皇女和宮も通った京都から江戸へ下るルートですね。街道を歩くのがブームになっているせいか、道標や石畳などよく整備された道だ。登る途中にある御嶽神社(御嶽遙拝所)は、逆方向の江戸から来た旅人が初めて御嶽山を見て拝むことができる場所に立てられた神社で、ここにある鳥居から「鳥居峠」の名がついたという。境内には御嶽信仰の人々が建てた霊神碑が神像がぎっしりと並んでいる。

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 ここを過ぎたあたりにはトチの巨木が群生する場所がある。樹齢300年以上? これだけ立派なトチがずらっと生えているのは見たことがない。峠の頂上には特筆するものはないが、ここが分水嶺だという説明を読むと感慨深い。南の藪原へ流れる水は木曽川となり太平洋にそそぎ、奈良井へ流れる水はやがて信濃川となって日本海に達する。分岐点でのわずか1cmの差でも、その後の運命を大きく変えるのだ。たとえば一緒に空から降ってきた雨粒が太平洋と日本海に生き別れ。まるで人生のようじゃないですか。

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 奈良井までの下り道は何度も沢を渡る。ちゃんと木橋が架けてあるから安全に歩ける。とはいえこの辺りはクマが多い地域だ。クマよけの鐘がところどころに設置してあり、鐘を鳴らしながら進む。今年は全国的に山の木の実が少ないそうで、里山にクマがよく出没する。「熊出没注意」という標識もたくさん掲示してある。でもどう『注意』したらいいんだ! それを書いてくれなきゃわからないじゃないか。きっと出会わないよう祈りながら歩くしかないのでしょう。

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 奈良井宿は江戸時代には「奈良井千軒」と言われた日本で一番長い宿場町だ。街全体に古い建築様式がよく保たれていて、「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されている。最近はフランス人やオーストラリア人の観光客がたくさん訪れるようになったそうだ。なぜか中国人はあまり来ないという。上高地など信州の他の観光地は中国人であふれているのに不思議ですね。
 

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2016年7月25日 (月)

鉢盛山に登りました

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 7月24日(日)、第3回「信州 山の日」に、奈川からいつも見ていた鉢盛山2,446mに登ってきました。皆さんたぶんご存じない山でしょうね。まわりに穂高や乗鞍、木曽駒や御岳があるというのに、なんでまた?という感じかも。登り口は奈川からは裏側にあたる、木祖村の奥木曽湖から林道を数km入ったところ。ほとんど人が来ない狭い厳しいルートをクマの傷あとを見たり、サルに驚いたりしながら木曽川の源流域へ。岩場こそないものの、木の根がいっぱい張り出した急坂もある、侮れない山です。

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 途中1,800mを超えたあたりにある高天原と地元の人が呼んでいるところまで来ると、立ち枯れの樹が目立ち高山のおもむきだ。頂上には木祖村と朝日村、奈川村と波田町、鉢盛山を取り囲む4つの村の祠がある。この山には水の神様がいて日照りが続くと雨乞いに来たところだそうだ。今では木祖村と朝日村からしかアプローチできない。今回はNPO法人「木曽川・水の始発駅」の募集に応えて来たからよかったものの、単独で来たらちょっと難しかったかもしれない。

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 この山はまた花が多いのも特徴だそうだ。ゴゼンタチバナやマイヅルソウ、珍しいカニコウモリやギンリョウソウも見ました。お天気がもうひとつだったせいもあり、残念ながら頂上付近からの眺望は良くなかった。運が良ければ北アルプス、中央アルプス、南アルプス、八ヶ岳連峰まで見渡せ、もっと運が良ければ富士山も見えるそうだ。奈川のうちや野麦峠スキー場がどんな風に見えるか楽しみにしていたのに。でも念願の鉢盛山頂に立てたことだし、雨が降らなかったのはなによりでした。これから改めて見上げても、今までとは違う感情が沸き起こることでしょう。

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2016年7月22日 (金)

歌舞伎役者と評判娘

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 江戸の美と装い、をサブタイトルにした「写楽と豊国」展が六甲アイランドで開かれています。着物の色柄や模様にスポットを当てた浮世絵展という切り口が、神戸ファッション美術館らしい。『和装でご来館の方は入館無料』というのもおもしろい。会場には浴衣姿の女性もチラホラ見えて、この企画に花を添えている。
 当時は写真がなく、人気スターやウワサの美人を浮世絵版画にしてブロマイドのように販売した。庶民に受けるものは今も昔も変わりない。歌川派を最大の派閥にした豊国の作品を中心にして、弟子の国芳や国貞、広重などを配し、摺りや染料の進歩もわかる展示構成になっていておもしろい。

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 そして謎の絵師・東洲斎写楽。彗星のように現れて、わずか10ヶ月の活動で忽然と姿を消した彼の正体については、江戸時代からさまざまな説が述べられている。当時の絵描きや文化人はほとんど候補に挙げられているようなありさまです。オランダ人だという説の本も読みました。しかも短い期間の前半は代表作の大首絵、後半は彼の特徴が薄れた全身像を描いていることも、謎に拍車をかける。前後半別人説もあるくらいです。今回の展覧会での発見は、大童山(文五郎)という少年力士像。この山形県生まれの怪童は数え7歳のとき、すでに身長120cm体重72kgもあり土俵入りで人気を集めていたという。写楽以外にもいろんな絵師が題材にしている。見世物にされてかわいそうな気もしますが・・・。

写楽と豊国
~江戸の美と装い~
2016年6月18日(土)~8月14日(日)
神戸ファッション美術館
 

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