2015年1月24日 (土)

フィオナ・タン まなざしの詩学

Fall
 中之島の国立国際美術館で開催中の展覧会、「フィオナ・タン まなざしの詩学」を見てきました。彼女は中国系インドネシア人の父とオーストラリア人の母のもとに、インドネシアで生まれオーストラリアで育ったそうだ。その後ヨーロッパに移住し、現在はアムステルダムを拠点に活動する映像作家。そんな複雑な自身のアイデンティティ探しをするドキュメンタリー『興味深い時代を生きますように』は、どこへいっても異邦人の感覚が抜けないと言うタンの初期の代表作です。これが60分。ほかにも50分や30分の作品など計17作の展示・上映なので、じっくり見られる時間をつくって行く必要があります。さまざまなイメージを丹念に織り上げてつくりあげるフィオナ・タン。鑑賞する私たちも丹念に見たいものです。

Rise
 なかでもぜひ見ていただきたいのが、2009年ヴェネチア・ビエンナーレのオランダ館で発表された「ライズ アンド フォール」。ナイアガラの激しい水の流れと対比して、年老いた女性と若い女性の二人のなにげない日常生活を淡々と描く。記憶の断片を重ねたような構成は、喜びも苦しみもたくさん経験する山あり谷ありの人生を暗示する。そして動きの少ない静かな映像が、よけい私たちの想像力を刺激する。さまざまな記憶の中に生きる老いた女性と、まだ先の長い、つまり将来に味わうであろう悲しみも苦しみも知らない若い女性。とうとうと流れる水の勢いには逆らえないように、自分の意志ではコントロールできない大きな力の存在に気づくのは老いてからなのでしょうか。時間、記憶、運命・・・。具体的には何も言っていないけれど、深く考えさせられます。

フィオナ・タン まなざしの詩学

国立国際美術館
開催中 2015年3月22日(日)まで

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2015年1月21日 (水)

慰霊と復興のモニュメント

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 献花を行う場所は東公園の南にある慰霊と復興のモニュメントの池。名称はCOSMIC ELEMENTSという。Photo_7記帳するともらえる白い菊の花を持って 行列に並んび、献花をして手を合わせる。そこから 回り込んで地下室へ降りていくと、コンクリートの壁面に阪神・淡路大震災で犠牲になった人たち全員のお名前が刻まれた銘板がずらーっと並んでいる。名前をさすっている人。そこに故人がいるかのように話しかけている人。静かな祈りの空間だ。この日は特別に、早朝から中へ入れる。

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 この地下室から上を見上げると、さっき献花をした池が見える。天井(池の底)がガラス張りなのだ。献花をして祈っている人の姿が見える。金沢21世紀美術館のコレクションでレアンドロ・エルリッヒの作品『スイミング・プール』のようです。(こんなことを考えるのはちょっと不謹慎ですが) この下から見る花々はじつに幻想的。亡くなった人と会いたいと慕う人を結びつける、この世とあの世の架け橋のように感じられる。しかも、どちらがこの世でどちらがあの世かわからない感じ。もしかしてご先祖さまはお墓の中からこんな風景を見ているのでしょうか。

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慰霊と復興のモニュメント
COSMIC ELEMENTS
午前9時~午後5時

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2015年1月18日 (日)

阪神淡路大震災から20年

Photo
 三宮の東遊園地。まだ暗い午前5時46分。20年目の追悼行事には夜来の雨も止んで、たくさんの人々が訪れました。(報道によると約1万4千人。夜9時までには10万人を超えたそうだ) 「命」「勇気」「こころ」「祈」「希望」「生きる」「笑顔」・・・さまざまな言葉が書かれた約1万本の竹灯ろうにローソクが灯され、大きな『1.17』が浮かび上がる。
 ついこのあいだの出来事のように思えるが、震災の年に生まれた子供たちが今年は新成人になった、とニュースで聞くとやはりずいぶん月日が流れたと感じます。そして災害を体験した人がだんだん少なくなり、そのうち風化していく。日本人は忘れやすいから、ではダメだと思う。大きな苦難を教訓にして、次の災害に備えるためにその経験や記憶を役立てないと、犠牲になった6千数百人は浮かばれないだろう。

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 はたして東北の大震災、津波、原発事故で、阪神淡路の経験は生かされたでしょうか。大勢のボランティアが集まったのは、生かされた例。とくに若い人たちが会社を辞めて、大学を休学して、全国から駆け付けた。それも自分の喜びとして。生かされなかった例は、「復旧」「復興」と声だけ大きく、以前と同じ発想の土木工事に予算をつぎ込む政府。被災した住民の意思や暮らしより、数字や統計が大事なのかもしれない。
 結局、被災した住民は自分自身で生活を建て直し、心の傷を修復し、なんとか自力で前に進むしかないのでしょうか。高速道路、埋め立て地、無秩序な宅地開発、防潮堤、避難計画の不備、原発の安全神話を作り上げた責任はだれ一人とらず、個人の生活は自己責任で、なんて笑い話にもならない。

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 地震、台風、豪雪、火山の噴火。いつどこで災害が起こっても不思議でない国土に住んでいる、という自覚を一人一人が持ち、自己防衛をはかるしかないようだ。ボランティアさんがつくる炊き出しの温かい豚汁にホッとしながら、そんなことを考えた。国や行政は頼りにならないが、身近にいる名もなき市民が互いに助け合う。これが日本の素晴らしさだと思う。逆にそれに頼るしかないというのが弱点でもありますが。
 まぁそんなグチをこぼしても、哀しくなるだけなのでやめておきましょう。選挙でそんな政治を選択しているのは私たち自身なのだから。いま生きている幸せを感じること、それは、亡くなった人々からより良い社会を作り上げていく責務を託されたことと表裏一体のことだと思います。よほどしっかり生きて行かなくちゃね。

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