2023年5月29日 (月)

ピーター・シスの原点

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 1949年、共産党統治下のチェコスロバキアで生まれ育ったピーター・シス。ロサンジェルス五輪の仕事を機に、アメリカに亡命。アニメーション作家として、絵本作家として多くの人々を魅了し、国際アンデルセン賞やコールデコット・オナー賞など数々の栄誉に輝いた。その作品は自らが歩んできた人生を濃密に反映している。

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 厳しい監視や検閲で自由のない学校や社会。逆に自由に夢や希望を話せる家庭。家の内と外では全く違う環境だったという。それは仕事で海外を訪れることが多かった映像作家の父とアーティストの母がひそかに与えてくれた家庭教育環境。「かべ ― 鉄のカーテンのむこうに育って」や「リトル・シンガー」に、その想いが凝縮。

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 また「星の使者 ー ガリレオ・ガリレイ」や「生命の樹 ー チャールズ・ダーウィンの生涯」など、社会の偏見や抑圧に屈することなく、自ら信じた道を貫いた偉人たちを描いた伝記絵本のシリーズ。自由の意味と未知との遭遇を求める冒険の大切さ、真実を探求する勇気を子どもたちに伝えたい、と願う彼の哲学が描かれている。

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 彼が絵の中によく描く鳥や飛行機。それらは「かべ」を越えて外の世界へ飛び立つ自由を、シンボリックに表現するモティーフだ。情報が統制された冷戦下の共産党統治。「かべ」の中で育ったからこそ培われた、憧れ、愛、真実を希求する強い。展覧会の観客や絵本の読者に感動を与える所以は、そこにあるのでしょう。

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 自由を当たり前に享受している我々には、そのありがたみは分からない。表現の自由、人権、多様性の尊重。いまも日本や世界を取り巻くさまざまな課題について、アンテナを鋭敏にしなければいけない。そして日々学習を続けなければいけない。『ピーター・シスの闇と夢』展は、そのことをあらためて気づかせてくれました。

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 この展覧会でもう一つ印象的だったのは、映画『アマデウス』のポスターも若き日のピーター・シスが作ったと知ったこと。映像作家だった父ウラジミールの友人、ミロス・フォアマン監督の依頼だという。当時は彼のことをまったく知らなかったけれど、ペンで微細に描く彼の特徴がよく現れた故郷プラハの街並み。ナルホド!と納得です。

ピーター・シスの闇と夢
2023年4月14日(金)~6月11日(日)
I'M 市立伊丹ミュージアム

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2023年5月26日 (金)

ソマリアの海賊

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 そう言えば話題になっていましたね、アフリカ東海岸のソマリア海域で多発する海賊事件。海上自衛隊も艦艇を派遣して、民間船の警護にあたっていました。ポール・グリーングラス監督の『キャプテン・フィリップス』は、2009年4月にコンテナ船マークス・アラバマ号が乗っ取られ、船長が人質となった事件に基づいている。

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 コンテナ船のリチャード・フィリップス船長の回顧録『キャプテンの責務』をもとに、トム・ハンクス主演で映画化された緊迫のサスペンス。船長の諦めない勇気、とっさの機転、沈着冷静な行動が、乗組員の身の安全を守ることになる。そのために、自分一人が人質に。どんな状況でも最後まで事態の好転に努めるリーダーの物語。

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 二隻のボートで襲ってきた海賊に対し、民間船なので武器はない。そこで全方位への放水と、急な進路変更で大波をたてて撃退する。しかし若い四人組が乗る一隻が、翌日もう一度襲撃してくる。驚くのは何万トンもの大きな船を、おんぼろ漁船のエンジンをパワーアップした小型ボートで襲うこと。武器はカラシニコフと拳銃だけ。

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 先進国の大型漁船に漁場を荒らされ、生活できなくなったソマリアの漁師たち。目的はお金だけ。宗教的な理念も政治的な目的もない。ただ生きるために悪事に走る彼ら。イスラムのテロリストとはそこが違う。そのうえ命懸けで稼いだお金も黒幕にゴッソリ抜かれる。そんな社会背景も描かれ、ストーリーに深みを与えている。

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 救出作戦でボスは捕まり、残り三人は狙撃兵により射殺された。自分のすぐ横にいた若者たちが一瞬にして即死。大量の返り血を浴びたフィリップス船長は、さすがにパニックで異常をきたす。救助された直後のリアリティあふれる演技は、名優トム・ハンクス渾身の数分間。死と隣り合わせの恐怖。生き残った安堵。感情の爆発。 

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 船長の救出作戦に登場するのは、海軍の駆逐艦や戦闘ヘリ、特殊部隊SEALsなどアメリカの正規軍。ちっぽけな虫けらのような海賊に対峙する超大国の巨大パワー。悪者をやっつけるためとはいえ、そのギャップに呆然とする。ウクライナ戦争でかすんでしまいましたが、貧困と格差は21世紀の大問題。貧しさが哀しい。

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2023年5月23日 (火)

シリア難民の五輪スイマー

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 2016年リオデジャネイロ五輪では、初の難民選手団ROTが参加した。内戦や政情不安などで他国へ逃れたアスリートにも、夢の舞台へ出場する機会を与えようと、IOCが結成しました。そのメンバーの一人として100mバタフライと100m自由形に出場したユスラ・マルディ二。世界中に勇気を与えた彼女の、実話に基づいた物語。

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 姉と従兄弟とともに戦乱のシリアを脱出したユスラ。まずトルコへ。そしていろんな国から逃れてきた難民たちと密航業者のゴムボートに詰め込まれ、ギリシャのレスボス島へ。国境警備隊の目を盗みながら、悪徳業者に金をだまし取られながら、徒歩で、自動車で、ブルガリア、ハンガリーへと進む。陸路も海路も命懸けの旅。

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 2015年当時、何百万という難民がヨーロッパを目指して押し寄せている、というニュースを目にしていたけれど、どこか遠くの他人事のように感じていました。浜辺に捨てられた無数の救命胴衣。延々と続く鉄条網の壁。警備隊と警察犬。なんとかベルリンの難民センターへたどり着けた人は、よほど幸運に恵まれたのだと思い知る。

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 思わず「人生は不公平だ」と、姉妹が言いたくなるほど苦難に満ちた経験。それでも水泳をあきらめないウスラに、ついに幸運がやってくる。いい人に出会ったのだ。それが敏腕コーチのスヴェン。しかもIOCが難民選手団というカタチで五輪への道を開いてくれる。そのあたりの事情をサリー・エル・ホサイ二監督がテンポよく描く。

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 しかし水泳に打ち込む妹と身が入らない姉の間に、次第にミゾが出来てくる。シリアに残る家族の心配や難民申請の停滞。すんなりとは進まない。姉のサラは水泳をあきらめ、レスボス島で難民救済のボランティアにつく決断をする。それぞれの道を歩み始めた二人。戦争、社会、スポーツ、家族。多様な現代が描かれる。

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 そして晴れの舞台、リオ五輪。オリンピック出場が叶わなかった父親やコーチ。戦禍で苦しむシリアの人々や共に逃避行を続けた避難民たち。そんなすべての思いを背負って泳ぐ覚悟を決めたウスラ。レースシーンでは素直に応援していました。『スイマーズ:希望を託して』は、前向きに生きる勇気をもらえる良い映画です。

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